久しぶりに立ち寄ったこの街は、どことも変わりないように見えたけど、駅前もバスのロータリーもやっぱりどこか昔とは違う気がした。そこに立つ、わたしも。
二十数年前、わたしはこの街に住んでいた。地方からの学生も、地の人も、出稼ぎの外国人も交じり合った東京の片隅の街。少しおしゃれで清楚な印象が付いてしまった街だけど、賑やかさは変わりがない。本当に、久しぶりだ。胸がどこかきゅっと締め付けられるような甘酸っぱい感覚を覚えた。
赤信号を街ながら、両手をコートのポケットに押し込み、首をすくめた。冬、寒い。けれど、快晴の空から注がれる太陽光を受けた後頭部や背中は暖かだった。懐かしい。全部がその一言に自動変換された。
「たしかこの辺のはずだけどな。」
駅から15分くらい歩き、三つの坂を上った。決して急ではないが、声を出すと同時に、はぁ、はあ、と息が漏れた。43歳。なったばかりとは言え、そういうお年頃と認めざるを得ない。あの頃は、坂など意識もせずにこの道を駆け上がっていたような気がする。
坂を上り切った突き当りにある四五階建ての淡いピンク色の建物。大学生でこの街に来て、結婚を機に離れるまで、その建物の地下にある美容室に、通っていた。
坂を上り切ると、あの頃と同じ淡いピンク色の建物が見えた。思わず駆け寄る。底のしっかりしたローヒールのパンプスがカツカツカツと大げさな音を立てた。
ビルの側面にある入り口は、あの頃と同じように扉を開放していた。でも、看板が出ていない。まだお店はあるだろうか。恐る恐る入り口に片足を滑らせて中を覗くと、すぐに上下に伸びる階段が見えた。更に地下の方へ顔を覗かせると、微かに人の気配と、それからどこかで嗅ぎ覚えのある匂いを感じた。それは確かに、美容室で嗅ぐ、カラー剤の匂いに似ていた。「あった」その想いに勇気を得たように、わたしは冷たい手すりを左手で撫でながらゆっくりと地下の階段を下りた。ほんのり柔らかな花の香がどこからともなく漂っていた。
「ごめんください……」
アーチ状になった入り口を抜けて中に入ると、まず二台のシャンプー台が見えた。金色のどこかアンティークっぽい蛇口が美しいと感じた。けれど、同時に急な不安が沸き上がった。確かにここは美容室、だけど、あの時のお店とは違う店になっているかもしれない。どうしてそんな当然の事に気づかなかったのだろう。そう思った時はすでに店の結構中に入り込んでしまった後だった。やっぱり引き返そうか、そう思った時だった。
「いらっしゃいませ……で、宜しいでしょうか?」
驚いて声のした方を振り返ると、そこには紺色のTシャツに同じ色のハープパンツを履いた髭とパーマヘアの男性が赤や黒のシミのたくさんついたタオルを抱えて立っていた。足元はまたしても紺色のビーチサンダルだ。
もしも彼が両手に黒や赤茶色の汚れが付いたタオルを持っていなければ、不審者と思い込み悲鳴を上げていたかもしれない。
「あの、すみません。こちらは美容室ですよね」
咄嗟に出したので若干声が上ずったが、あんた誰!と叫びそうになったのをよく堪えられたと思う。