小さなお客様のご来店は、この地域に珍しく雪が降った2月の昼下がりのことだった。
「はい、はい……やっぱり~。いえ、またお待ちしてますね。はーい、失礼します」
電話を切った古賀ちゃんは「店長、藤原さんもお子さんの小学校休校で、キャンセルです」と、早速パソコンで予約表を修正している。
「了解~」
店長の高槻はラバー箒の細長い柄に頬杖をついて窓の外を見やった。
大寒波到来の天気予報は見事的中し、夜明けに降り出した雪は交通機関や学校などに影響を及ぼしている。お子さんの休校が理由のキャンセルは本日3件目だ。
午後1時を回った現在は天候も落ち着き、寒空の中で太陽が白っぽい光を射していた。時折雪はちらつくものの、薄っすら白かった道路は黒く濡れたアスファルトに戻っている。
天候で売り上げが左右されるのはヘアサロンの宿命だな、と高槻は苦笑した。
フランス語で『輝き』を意味するヘアサロンeclat(エクラ)は、高槻が経営する完全予約制のヘアサロンである。
店舗は小さいが、パリのカフェテラスをイメージしたガラス張りの外観や、木のぬくもりが感じられる落ち着いた内装はお客様に好評だ。
シャンプーやカラー剤などのヘア用品は、高槻自らが厳選した頭皮や髪に優しい良質なものにこだわっている。シャンプーは時間をかけて丁寧に、シャンプー後はマッサージで血行促進、オーガニックコーヒーやハーブティのサービスもする。
髪も心も癒されて、美しく輝いて帰ってほしい。それがeclatの理念だ。
スタッフの古賀ちゃんは、スタイリスト3年目ながら仕事が速く、技術もなかなか。20代特有の明るさで、お客様にも人気の売れっ子である。
「16:00の佐々木様まで予約なしですねー。在庫整理しときましょうか」
「それ、もうやっちゃったんだ」
2人が暇を持て余していると、カランとドアベルが鳴って、冷たい風が店内に流れ込んできた。
「いらっしゃいませ」
目に飛び込んできたのは、ピンク色のダッフルコートを着て、重たそうな手提げバッグを持った小学2~3年生くらいの女の子だった。
「髪を切りに来ました」
「えっと、ご予約はありますか? お母さんか、保護者の方は一緒?」
パソコンで予約表をチェックしながら古賀ちゃんが尋ねると「1人で来ました。予約ないとダメですか?」と女の子はか細い声で言った。
(この子、1人で来たのか)
高槻は驚き(きっと、相当な勇気を出したに違いない)とすぐさま思う。
高槻は、新規のお客様アンケートをバインダーに挟め「わかる範囲でいいから書いてくれるかな?」と女の子をソファに案内した。
小さなお客様は、滝沢桜ちゃん 9歳。住所は店の近くだった。