高くはないが安くもない、そんな二対のコーヒーカップを小さなトレーに用意する。手早くペーパーフィルターをコップにセットしコーヒーの粉を小さじで三杯。お湯を注いでしばし蒸らす。頃合いをみてのの字でお湯を注ぎ入れ、出し惜しみするかのようなしたたりでカップにコーヒーが抽出されていく。
一生懸命素人がコーヒーを淹れている。それでもいいのだ、むしろこれがいい。すみ子美容室に来るお客さんは、このひと時を何よりも楽しみにしているのだから。
ある意味これがすみ子美容室の最大の強みなのだ。美容技術より雑談技術。流行の髪型より近所の噂話に力を注ぐ、そんな美容室なのだ。その店の窓際でのんきに女性週刊誌のページをめくり、時々ひとくちヨウカンをほおばる女性が店主のすみ子だ。美容師であり、二児の母親でもある。
三十三歳だというのにこの風格。三年前に主人を突然事故で亡くし、そこから美容師の免許を取り、一年前にこのすみ子美容室を開業したのだ。このように逆境の荒波を嬉々としてサーフィンしてしまうような生き方だ。それゆえ自然とにじみ出てくる風格なのだろうか。
家事全般をだいたいの感じで手早くこなし、主人の仏壇にご飯を供え、愛犬銀次郎に声をかけ、二人の息子を学校に行かせたら、あとはすみ子の時間である。店の予約が入っていない午前中なんかは、こうして窓際に座布団を敷き日光に注がれながら好きに過ごす。その姿はひだまりでのんきに毛づくろいをする猫そのものである。
北海道のほぼ真ん中にある小さな町で、小さく始めた美容室は一年経ってようやく地域に溶け込んできた。
重みのある呼び鈴が三回ほど鳴った。美容室の入口が開いた合図だ。お客さんが来た時に鳴るようにしてある。
「あっらーいらっしゃいませ」
独特のイントネーションで顔を出したすみ子は、一気にお客さんの全身を包み込むように近づく。あとは談笑が永遠に続く中でカットやパーマが進んでいく。何十回と起きる大爆笑に刃物を持つ手元が乱れないのかと心配になるが、大丈夫だと自信ありげにすみ子は笑う。高い技術を持って美容にあたっているらしいのだ。
髪の仕上げもそこそこに、そこから広がる対話の時間。すみ子美容室の醍醐味はここにある。
「ちょっと聞いておくれよ先生。うちの嫁ときたらまったくもう。」