約1センチに伸びた。
村上は風呂上りに脱衣所の湯気で曇った鏡を拭うと、手の指の間に髪を挟んで確かめた。指の隙間からは、手入れがされていない芝生のような髪の毛が顔を覗かせている。
中学生の時に野球部に入り、高校3年生の夏の大会で引退をするまで、ずっと丸坊主だったから、ようやく最近になって『髪型』という言葉が頭をかすめ、意識し始めた。
6年間の野球人生で、スタメンに選ばれることもなく、ろくに試合は出たことがなかったけれど、野球部は坊主という不問律に律儀に則っていた。母にバリカンで刈られて、一丁上がりで簡単であった。それはそれで楽だったが、野球部を引退したので、ちょっと色気付きたい。丸坊主に色気がないわけではないが、もう少し自分の可能性の幅を広げたい。受験勉強も大事だけれど、明後日から始まる新学期のためにも、こっそり思いを寄せているクラスメイトのサオリちゃんに振り向いてもらうためにも『髪型』をどうにかしたい。
まあ、髪型でどうにかなるかは神のみぞしる。
髪だけに。
十八歳の夏、風呂上りに素っ裸でそう思った。
本当はもう少し伸びていた方が、髪型の選択肢が広がるだろう。だが、丸坊主に慣れているので、この長さであっても、どうも邪魔くさく感じるし、野球を離れた新学期は身も心も心機一転して迎えたい。
だから、明日、髪を切ろうと思う。おぉ。『切る』のだ。『刈る』のではないぜ。
そして、新しい髪型、新しい自分を『美容室』で始めようと心に決めている。お小遣い的には千円でやってくれる床屋さんがありがたいのが正直な所だ。だが、千円であれこれ注文をするのは申し訳ない。
それに、仰向けになってのシャンプーを体験したいし、偏見だろうけど、美容室の方が柔らかい感じの出来上がりになる気がする。これまで男くさい中でやって来たので、そういう方面を向きたい。
ところが、それが問題だ。
美容室は眩しすぎる。
照明はそのルクス以上に輝いているし、ガラス張りでショーウインドウのような店に入って、お洒落な美容師さんに依頼をする勇気がない。でも、だからこそ、美容室で髪を切ってもらって、眩しさのお裾分けをしてもらいたい。
どうしよう。
野球部の仲間に相談するのも気恥ずかしいし、親に尋ねて色気付き始めたのを知られるのも嫌だから、スマホで検索をした。
駅前の美容室がヒットした。どれも横文字だし、店構えを思い浮かべるも、これらは初心者にとってはハードルが高い。
検索を進めていると『あけみ美容室』という名を見つけ、住宅街の入り口にある普通の家みたいな店だなと思い出し、逡巡した。
『ちょっと庶民的過ぎやしないか』という不安と『こういう店の方が入りやすい』という安心が交互に浮かんだ。口コミが載っていないか確認をしたが見当たらなかった。
翌日の昼前、村上は『あけみ美容室』の前に立った。