「美容院に行く」というのは、人見知りにとって難易度の高いイベントのひとつだ。それだけに、長年通っていた美容院の閉店には打ちのめされた。難儀なことに、行けないとなると余計に行きたくなるのが美容院である。しかし「ここだ」と思える店が見つからず、美容院探しは難航を極めていた。
悲しいかな不幸とは重なるもので、勤め先から「次回の契約更新は控えたい」と告げられた。つまるところクビである。抗議する熱意も勇気もない私に「承知いたしました」と返す以外に選択肢はなく、そこからは就職活動の日々。しかしこの不景気の中、拾ってくれる会社はそう簡単には見つからなかった。
今日も今日とて面接から帰るなりソファに倒れ込んだ。家族への言い訳やら次の面接やら課題は山のようだが、最も強く頭に浮かんだのはなぜか「髪を切りたい」というシンプル な欲求だった。もはやどこでもいいから、髪を切りたい。勢いのまま予約サイトを開き、唯一明日空きがある隣駅の美容院をろくに紹介も読まず予約した。予約完了メールを見た途端どっと疲れが押し寄せ、そのまま睡魔に身を委ねた。
翌日目覚めたのは正午近くだった。あと数分で家を出なければ予約に間に合わない。慌てて手近にあった皺だらけのワンピースを被り、寝ぐせも直さず飛び出した。
隣駅は決して賑わってはいないが、昔からある小さな人気店がぽつりぽつりと点在する控え目な街だ。だからこそ選んだのだが、私を出迎えたのは期待を裏切るように全面ガラス張りのお洒落な美容院だった。その佇まいに早速怖気づいたが、時計は予約時間ちょうど。 息を整え、ドアノブに手をかける。久しぶりに味わう緊張感だった。
「いらっしゃいませー!」
えいやとノブを引くと、居酒屋の店員ばりによく通る声が飛び出してきた。すみません間違えました、と引き返したい衝動を抑え店に入る。声の主は受付にいる金髪の女性のようだ。
「あの、13 時に予約してた……」
「あー! お待ちしておりました、担当のタカハシでーす。よろしくお願いしまーす」
帰りたい気持ちがより一層強まる。よりによってこの底抜けに明るい彼女が担当。スタイ リストを指名しなかった自分を呪った。
苦々しい気持ちで荷物を預け、席まで案内される。どんな感じにしますかと聞かれたが何も考えておらず「軽く整える感じで」と言えば「了解でーす」と返された。本当に了解したのだろうか。
シャンプー用の椅子に促され、身体を預けた。顔に例の布をかけられる。お湯熱くないですか、痒い所ございませんかのダブルコンボに大丈夫ですと返し、しばしの沈黙。正直、この時間が苦手だ。
「お客さん何のお仕事してるんですか?」
邪気のない問いかけに心臓が跳ねた。なぜ今最も聞かれたくないことを。ここで初対面の彼女に「クビになりました」と言おうものなら、美容院が静まり返ることは明白だ。彼女の顔は見えないが、きっと怪訝に思っているに違いない。とにかく何か答えなければ。
「えっと……役者です」