土曜日の午後三時過ぎ。独りになった家から外に出ると、近所から微かにカレーのにおいがしてお腹が鳴った。風は冬にしては冷たくはなかった。頬に当たる季節外れの風に、ふと歩きたくなった。時間潰しにバスで行こうと思っていた予定地を変えて、足は自然と駅とは反対方向のかつての町の中心地だった場所へと向かった。住宅街から幹線道路に出て、その道を城跡がある山の方へと向かって歩いていった。町の中心地は開通した高速道路の出入口付近に移った。不況にあえぐ町が新たな流れを呼び込むための新しいランドマークがそこにはあった。ここは城下町で、山のすぐ麓一帯が栄えていて、そこがずっと町の中心地だった。わたしも旧中心地に行くのは、遺っている城門の前の通りで行われる一昨年の春祭り以来のことだった。しばらく歩くと、やがてシャッター通りになって久しいアーケード商店街に着いた。人気のない、やたら細長く感じるその通りを歩く。子供の頃このアーケード商店街では土曜日には夜市が行われ、それはそれは大変な賑わいがあった通りだった。横目で、ここもかとシャッターが下りているのを確認しながら、通り過ぎた。あんなに人々が行き交っていたのに、向こうに小さく見える出口まで誰ひとりいなかった。異様なまでの静けさが何かの儀式の最中のような雰囲気さえ漂わせていたアーケード商店街を抜けると、そこには噴水のある公園がちゃんとあったのでどこかほっとした。公園に入った。閑散とした公園の木々にわずかに残っていた枯れ葉たちが、ひとつ、またひとつと舞い落ちるのをわたしは立ち止まって見ていた。その舞が何となく、一生に一度だけのダンスだと思ったら、たちまち目が離せなくなった。そう思ったら今度はもう、枯れ葉たちは風を読んで枝から離れているようにしか見えなくなった。舞いながら風に乗って目指しているのは、近くにある噴水の丸い囲いの中の泉。今は水が止まっている噴水の泉部分に枯れ葉が集中して落ちていた。たぶん物理的には単に、噴水の囲いが風からどこかに飛ばされるのを防いでいるだけなんだろうけれど、その時のわたしはかなり感傷的な気分になっていて、あの木々の枯れ葉たちの旅立ちは皆そこを目指しているんだといったようなフィクションにすっかりとらわれてしまっていた。噴水の水が止まってどれくらい時が経つのだろう。ひょっとしたら枯れ葉たちは、溢れていた水を求めているのだろうか。もしかしたら記憶がそうさせているのかもしれないと、わたしは考えた。水をいっぱいに浴びた、その記憶。そうした記憶は決して消えはしないのだとそう、この噴水と枯れ葉たちが醸し出すある種不思議な光景がそっとわたしに語りかけているように感じた。足元からカラカラと音がして、土の上の枯れ葉たちが風に運ばれてゆく姿をわたしは目で追った。そうなんだよね。枯れ葉のままでは腐葉土となって大地のエネルギーになることはできない。そうなるためには、枯れ葉には水が必要だった。水が微生物をじゅうぶんに働かせて腐葉土となり、そして大地のパワーとなり、ふたたびその木は葉をつけて生き生きとした彩りになるのだ。そう考えるとあながちわたしのイメージはそう間違ってはいないように思えた。顔を噴水近くの木々に向けた。するとまた一枚、枯れ葉が枝から風にふわりと舞った。その一枚は華麗で優雅なたった一度の舞を見せて、みごとに噴水の囲いの中へと落ちた。わたしは喝采のかわりに止めてある栓を一瞬でも開けてあげたくなったが、そんなことは勝手にはできないし、またできるようにもなっていないこともわかっている。わたしはごめんねと心の中で呟いて、それからふたたび歩き出した。公園を抜けると、そこに燦然と聳えていた、町で唯一あった九階建ての百貨店がきれいに消え去っていた。解体が始まったのは知っていたが、そのうちすっかりそのことも忘れていた。そう言えばここにあった百貨店に最後に入ったのはいつだったのか、あまりに遠い昔のことでわたしは思い出せなかった。