エクアドルの首都であるキト市は、標高2,850mの位置にあり、富士山に准(なぞら)えると7合目半の高さに当たる。空気が薄く、昼間から飲んでいると、アルコールの廻りがいつもより早いような気がした。何故、そんな時間から飲んでいたかと言えば、仕事が午前中で終わり、午後からは観光に出掛けていたからだった。
昼食時に仕事終わりの挨拶と共に軽い乾杯があり、その後、来訪の記念にと赤道を見学に出掛けたのだったが、現地のコーデネィターが気を利かし、移動の車の中に沢山のビールを買って来てくれていた。後は夕方からの飛行機でトランジット先のダラスに戻るだけだったので、つい飲み過ぎてしまった。いや、普段ならもっと沢山飲んでいたから、その条件下では飲み過ぎていた、と云うのが正しいのかもしれなかった。
ともあれ、そんな状況で赤道を見に行くと、勿論赤い線は引かれていなかったが、赤道を示す小さなプレート版が石畳の中に埋めてあった。そこまでだらだらとした上り道が続き、角度にしたら一、二度の緩やかな坂だったと思うが、歩いているうちに次第に息が切れて来たのだった。どうしてだろうか。そう思いながら、皆に付いて行ったのだが、やっとの思いで緯度0⁰に辿り着くと、ハアハアとして普通には立っていられなかった。両ひざに手を突き、前屈みになって息を整えたが、何時まで経っても上がった息が収まらず、このまま死ぬのではないか、と心配になるほどだった。
「気圧が低いと、アルコールの廻りが早いんですよ!」
ガイドを兼ねた現地のコーデネィターがそう慰めの言葉を掛けてくれ、そんなせいかな、と気を取り直したが、咳き込んだせいで目には薄っすらと涙が浮かんでいた。
夕方までキト市内のインカ時代の遺跡や博物館などを見て回ってから、ダラスに向かってフライトし、そこで一泊することになっていた。その機内でもいつもなら嬉しそうにアルコールを浴びるのだが、そこまでは飲むのを自粛した。しかし、ダラスに着くと気分も幾らか落ち着いて来て、遅い夕食にと立ち寄った店で、分厚いステーキを食べる地元の人の食欲に感心をしながら、また少しビールを飲むことにした。元々が嫌いな方ではなく、ご当地酒を飲むのも好きだったから、ダラスならバーボンかなとも思ったが、流石にそれは止めにした。残りの日程は翌日の飛行機で13時間ほど掛けて日本に帰るだけだったから、皆安心感したのか、宴席は夜遅くまで続いたが、その間私はビールを舐めるようにチビチビと飲んでいた。
そんなことがあったのは十数年程前のことだったが、当時のアメリカでは既に、全ての空港で禁煙になっていた。どうしても煙草が吸いたい場合は一旦外まで出なければならなかったが、翌日、成田行きの飛行機を待っていると、長い待ち時間の中で、煙草が吸いたくなってしまった。そこで、もう一人の愛煙家と相談してそれを実行したら、今度は二人共、中に入られなくなってしまった。その前に起こった同時多発テロの記憶もまだ生々しい頃で、アメリカの空港ではセキュリティが異常なまでに厳しくなっていたのだった。言葉もままならぬ異国の地でかなり動揺し、出発時刻ぎりぎりに駆け込んだが、その時も息切れがして、おやっと思った。しかし、その時は、それ以上は深くも考えずに帰路に就いた。