私がエクアドルに行ったのは、プリザーブドフラワーの工場からの依頼だった。『余り上手く作れないから、指導者を探している』とのことだったが、プリザーブドフラワーの作成液の特許を持っていた私に、その役割が回って来たのだった。その花自体はベルギーの大学で研究され、フランスで生まれたが、当時の日本ではほとんど誰も知らなかった。当然、実物を見ることも出来ずに、全くの手探り状態で作り出したのだったが、それが幸いした。誰でも簡単に作れるようにしたのが評価され、特許が取れたのだった。
花の水分を抜き、保存液に置き換えることによって、プリザーブドフラワーは見た目の美しさを保っているが、生物学的に言えば、枯れていることには変わりはなかった。また、花の水分を抜く時に水溶性の色素も一緒に抜けてしまう為、保存液に色を着けたり、後から着色したりしていて、元の花の色が残っている訳でもなかった。その為に、アートフラワーと同じように加工した花の範疇に入り、自然の花を好むヨーロッパでは余り人気が出ずに、押し花やドライフラワーの方が好まれていた。
しかし、カルチャー文化の盛んな日本に紹介すると、人気が出るようになった。手前みそになるが、当初は薔薇しか加工出来なかったのが、私の改良により、ほとんどの花が加工出来るようにもなったのも強みかもしれない。そんな技術を買われてのエクアドル訪問だったが、実際に行ってみると驚かされることばかりだった。枝葉を切られた花首より上だけのバラの花が、朝早くから、工場には山のように届けられていた。その中から形の良いものだけを選んで加工液に浸けて行き、不要な物は足元にポンポンと投げ捨てていた。勿体無いことをするものだな、それが私の感想だった。
しかし、薬剤に対しては全く逆の現象が起きていた。加工液の入った水槽はとてつもなく大きく、一寸した銭湯の浴槽程あったから、交換はどうするかと聞いた時だった。継ぎ足し、継ぎ足しで、交換はしないとの答えで、花が上手く出来ない理由が分かったような気がした。そこで、バケツ程の容器に新しく別の加工液を作り、その中でも同じ工程で作って貰うことにした。そして、翌日見に行くと、綺麗に出来上がっていて、一安心をしたのだった。
意外に簡単に、原因が分ったなと安堵し、その日の午後から前述の観光地を回って帰路に着いたのだったが、後日また別の連絡を受けた。相変わらず上手く出来ないから、製造を辞めたいとの申し出で、少しばかり残念な気もしたが、国情も違うのでそのままになってしまった。
ともあれ、そんな理由での成田到着だったが、13時間と云うフライトは朝の出発でも夜半に着くことになるので、荷物の受け取り時間などを考慮すると、東京近郊でもう一泊しなければならなかった。何とか空いている安宿見付けると、大した旅行でもなかったが、帰国祝いに取り敢えずは一杯、とエクアドルに行った仲間達と八重洲付近の居酒屋に飲みに出掛けた。そこでホッピーと書かれた登り旗に出会ったのが、私とホッピーの初めての出会いだった。