五つ上の叔父が他界したのは、彼が二十五歳になったばかりの夏のことだった。その葬儀の様子は今でもすぐに思い出すことができる。前日から降り続く雨に湿った土、蒸すような熱気、葬儀場に連なる黒い傘の列、彼の死を包むすべてがまるで映画のように象徴的で、当時大学生だった私は、役者のたまごだった叔父に相応しい最期だと、不謹慎にもそう思ってしまったのだった。
高校生の頃の一時期、私は叔父と一つ屋根の下で暮していた。大学生だった叔父は、市内の大学に通うために、私の実家に下宿していた。私たちは以前から仲が良く、親族の集まりのときなど、よく二人で遊んでいた。叔父はいつも兄のように振る舞い、一人っ子だった私の相手をしてくれた。彼が私の実家に下宿をはじめてから関係はさらに深まり、週末の夜には互いの部屋を行き来しながら夜更かしをして遊んだ。
叔父はよくグラスとアルコールの入った瓶を持って私の部屋を訪れた。勉強の邪魔をするのが目的のようだったが、高校の授業に興味を持てなかった私はいつも彼が扉を叩くのを待っていた。叔父は私のベッドの上に尻を沈めると、そのそばのテーブルにグラスと瓶を置いて、ジンジャーエールのような色のお酒を作った。それはホッピーという飲み物らしかった。よく冷えたグラスに焼酎と黄金色の炭酸清涼飲料水を注ぎ、私の目の前で美味しそうに口をつけた。父親の晩酌で麦酒や日本酒は見たことがあるものの、その麦芽と度数の高いアルコールの混ざったような匂いのお酒ははじめて目にするものだった。
「それ、おいしいの?」
お酒の味など知る由もなかった私は、二杯目、三杯目と杯を重ねる叔父に向かって尋ねた。
「まあ、大人にならないとわからない味だろうね」
叔父はやはり愛おしそうにグラスに口をつけながら私の質問を煙に巻いた。当時、大人の世界に漠然とした憧れを抱いていた私は、その叔父の姿に近い未来の自分を重ねて、少し背伸びしたような興奮を覚えていた。夜も深まった部屋のなかでグラスを傾ける叔父は、高校の窮屈な校則に縛られている私にはひどく大人びて見えた。十代の頃は少し先を歩く先輩をやたらと尊敬してしまうものだが、私の叔父に対する感情もあるいはそれに近いものだったのかもしれない。
アルコールに気分を良くした叔父は、勉強机のそばに散らばる参考書を拾い上げては、さも愉快そうにそこに書かれた文字を眺めた。そして、次の瞬間には「他人から強要された勉強なんてくだらない」と言ってその参考書を放り投げた。国立大学に通っていた叔父はいつの頃からか講義に出席しなくなり、いつも部屋で難解な本を読んでいるか、昔の古い映画を観ていた。過去の親族の集まりの際に秀才だと褒められていた頃の面影は見当たらず、どこか世の中を斜に構えた印象があるばかりだった。教師から与えられた課題を何の疑問も抱かずに解いていた私は、その叔父の言葉の意味を半分も理解することができず、ただ、大学というものは案外つまらないものなのだという程度の理解しか及ばなかった。