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『君と飲んだ、あの日々の思い出を胸に』矢野李佳

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 ウィーンに暮らす十蔵の朝は、馴染みのカフェから始まる。
 磨き抜かれた木の椅子、きびきびと働くウェイターたち、そして美味しそうなコーヒーの香り。全てが、七十二歳の老体をいやしてくれる。幸い長年通い続ける十蔵には、常に同じ席が確保されていた。
 しかし今朝に限って、そこに見知らぬ日本人の娘が座っていた。年の頃は二十代半ばだろうか、退屈そうにスマートフォンをいじっている。顔をしかめた十蔵の元へ、馴染みのウェイターが近寄ってきた。そして、『自分はその席に座らないでくれと頼んだが、全く言葉が通じなかった』と肩をすくめる。十蔵の眉間のシワがぐっと深まった。
「わかった。俺が言う」
 十蔵はウェイターを押しのけると、娘の元へ大股で近づいて行った。ルール知らずの子供は、こらしめてやらねばならぬ。しかしテーブルが視界に入った途端、十蔵の口から飛び出たのは、文句ではなく大声だった。
「ホッピー!」
 店内の客が一斉に振り向く。茶色い小瓶はすました様子でテーブルの上に立っていたが、娘は顔を上げて、ジロリと十蔵を見た。
「あの、恥ずかしいんですけど」
「い、いやすまない。その、久しぶりに見たから、つい」
十蔵はぺこぺこと頭を下げた。予定とはえらい違いである。
「しかし、どうしてこんなところにホッピーがあるんだ?この店では扱っていないはずだが」
 娘は冷ややかな目をしたまま、ホッピーを胸元に抱き寄せた。
「一緒に来たからです。私たち二人旅なので」
「二人って・・・君しかおらんじゃないか」
 すると、娘が黙ってホッピーを指差したので、十蔵は口を開けたまま言葉を失ってしまった。しかし娘は再びスマートフォンを触り始め、もうこちらを見もしない。いたたまれなくなった十蔵はウェイターへのあいさつも忘れて、逃げるようにカフェから立ち去った。

 十蔵が独りウィーンに来たのは、六十歳の時だ。しばらくは蓄えで暮らしていたが、現在はバルを経営している。近所の人を相手にした小さな店で、出すのは地元料理や酒のみだ。スタッフも全員こちらの人間である。
 もともと東京で居酒屋を三十五年営んでいた十蔵は、人を見る目にだけは自信があった。そこで店をやるにあたり、スタッフの面接に最も多くの時間を割いたのだ。結果、信頼に足る人材が集まり、今では売り上げ管理以外の全てを任せている。
 とはいえ、日本語を全く話さない日々もなかなか辛いので、十蔵は時々「母国語リハビリ」を決行していた。観光名所に行っては、日本人の団体ツアーに紛れ込む。そして当たり障りのない軽口を楽しむのだ。

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