1
「ドソラソ ドソラソ ミミレレド」
多少以上の音程の怪しさよりも、一拍未満を置いての懐かしさに真っ先に気づいたのは、ふたつ年上の従姉弟の美子だった。
「それ、覚えてたの?」
「あの頃みたいに真顔で怒って、起き上がってくるんじゃないかと思ってね」
穏やかな口調の小声で答えた雄一は、今目の前で静かに眠り、間もなく最期の別れの時を迎える、母方の叔父の信一に、今一度視線を届けた。
それは遡ること半世紀前、まだ幼かった自身を優しく見守ってくれていた彼が、自身に向けてくれていた柔らかなそれと、おそらく似ていたに違いなかった。
詩吟なのか謡曲なのか、上手なのか滅茶苦茶だったのかも怪しい、上機嫌になると故人が唸り始めた、子どもには意味不明な旋律が聴こえ始めると、こうしてチャチャを入れるのがお約束だった。
最初こそ我関せずと唸り続けるも、やがてこめかみに怒りの青筋マークから、怒って雑音の発信源の連中すなわち雄一たちを追い払うのも、これまたお約束の流れ。
そんなスリルとサスペンスとやさしさ一杯のコミュニケーションが、もしかしたらこの場でもう1度との願いまでは、やはり叶えてはもらえないらしく。
「起きないね」
「きっと雄ちゃんのホッピーで酔っぱらっちゃったのよ」
「ホント好きだったよな、信ちゃんおじさん」
何とも不思議な呼び方だけど、幼い頃から何となく、信広伯父さんは「しんちゃんおじさん」だった。
そんな雄一の母、すなわち自分達にとって叔母を、美子と兄の常男は「由っこねえちゃん」と呼んでいたのだから、つまりは自然とそういうことだったのだろう。
「それでは最期のお別れです。よろしいですか」
家族葬としても小さな規模であろう葬儀会場の一室には、故人の妻と長男長女と長女の一人娘、そして雄一の5人だけ。
出過ぎた振る舞いは申し訳ないと、さりげなく立ち位置を1歩引いた雄一の真向かいでは、長年連れ添った母の姉の清美おばさんが、司会進行を務めるスタッフの女性の言葉に、静かに頷いていた。
棺に蓋が閉められる直前、5歳年上の従兄弟の常男が、雄一が直前に棺にそっと入れた、ホッピーと冷えたジョッキを写した大きな写真を、父の口元にそっと翳すと、全員の表情が柔らかな笑顔未満に。
「オヤジ良かったな。こうして雄ちゃんが40年振りに・・・いや、もっとだったかな。お土産持って会いに来てくれたぞ」
電車と徒歩で1時間ほどの距離で暮らしていたにも関わらず、雄一にとって、かつて誰よりも大好きで慕っていた家族との対面は、実に40年以上振りで、しかもこのシチュエーションだった。