私には忘れられないホッピーの味がある。
専門学校の建築設計科を卒業した私は、千代田区にある設計事務所に就職した。従業員4名の小さな設計事務所だ。私以外の設計士は全員大学院卒だった。学歴を重視する必要はないと思いながらも、仕事を始めてみると能力の差は歴然としていた。どれほど頑張ってもその差は埋まらないように思えた。
与えられる仕事は学生アルバイトと一緒の模型作りや、簡単な図面の修正作業ばかりだった。失敗すると所長から容赦ない檄が飛ぶ。できていないのだから仕方がないと思う。でも劣等感からか、気分が鬱積していった。辛さは増すばかりだった。
〝私は、雑用係として採用されたのかもしれない″
〝もっと自分に合った職場に移った方がいいのではないか?″
そんな想いが日に日に強くなっていった。
設計事務所の仕事はハードだ。いわゆるブラック企業の部類に入る。帰宅時間は終電なんてことも珍しくない。
就職して2年が過ぎた頃だった。私は先輩設計士の横沢さんに相談しようと思った。横沢さんは自他ともに認める愛妻家だ。一人娘は目に入れても痛くないと公言している。ハードな職場で一定の評価を得る仕事をし、家族を大切にしている。所員全員の信頼と尊敬を得ていた。
留守がちな社長に代わって、事務所を取り仕切る実質的なリーダーでもある。横沢さんになら正直に自分の気持ちを話せるような気がしたのだ。
深刻そうな表情を悟ったのか、一緒に飲みませんかと言った私に
「よし分かった!」と即答してくれた。
「今日はこれから顧客先で打合せだ。銀座で待ち合せよう」
「ギンザ?」
「そうだ、秋山が行ったことがないところへ連れて行ってやる」
横沢さんはにやりと笑った。
私の休日の過ごし方は、おしゃれなスイーツの食べ歩きだ。代官山や表参道で話題のスイーツ店がオープンしたと知れば、友人を誘って食べに行った。写真を撮りSNSにアップした。唯一の息抜きだ。
アイドルが食べに行った店というだけで、行ったこともある。おしゃれな街で、おしゃれなスイーツや話題の食べ物を食べる。ミーハーだがそれだけでストレス発散になった。先週もハワイから上陸したパンケーキの店に食べに行ったばかりだ。
でも実際は高いだけで、正直それほど美味しいとは思わなかった。それでも彼氏のいない今、この休暇の過ごし方は止められなかった。
銀座と聞いて心が躍った。今まで行ったことがない店というのも期待が高まった。
銀座四丁目の交番前で待合せる。ラインで5分ほど遅れると連絡が入った。
仕事ができる人は、5分の遅刻もちゃんと連絡するのだ。
5分後横沢さんがにこにこしながらやってきた。
「いいんですか、銀座で?」