小野さんが死んだ。
お嬢さんが、今どきのやり方で友人知人に知らせたのはFacebook の投稿だった。
「突然このような形でご報告させて頂くことをお許しください。小野俊征の長女が代筆申し上げます」から始まって、「父、小野俊征ですが、かねてより病気療養中でございましたが、10月22日午前3時18分、63歳という若さで永眠いたしました。自宅にて、家族に見守られる中での安らかな最期でした。亡くなる前日の会話の中で、自分に万一のことがあったらこのFacebook にて報告して欲しいと本人が申しておりましたので、ご報告させていただきます」という過不足のない文章での投稿だった。青山の葬儀場の案内とともに「通夜及び葬儀告別式は下記日程にて執り行いますので、合わせてお知らせ申し上げます」と結ばれていた。
さすが小野さんのお嬢さんだと思った。姓が小野ではないから、もうご結婚していらっしゃるのだろう。立派に成人して、知性と教養を備え、社会的常識の範囲内にしっかりと収まって生活している女性らしい。小野さんは悪ぶるようなところもあったけれど、きっと家庭では良き夫で良き父なのだろうとは感じていた。やっぱりそうだったんだ。
今朝Facebook の投稿を見てから、私はパサつきが気になる髪のトリートメントのために青山の美容院に出かけた。小野さんが死んだからって動揺しない。昨日よりも少しきれいになって帰宅し、再びFacebook を開いた。小野さんとは共通の知人も多く、誰がどんなコメントを残しているのか興味があった。口々に「どうしたらいいんでしょう」「信じられません」と、有名な女優たちもこぞってコメントを残してある。現時点でコメント86件、シェア24件。この数字が少ないのか多いのか、適切なのか分からない。
私みたいに、通夜と葬儀の日時を暗記しちゃうほど投稿をしっかり読み込んで、それでも「悲しいね!」もポチッとしなければコメントも残さない、そういう人は何人いるのだろうか。そういう人たちこそ、小野さんとの“感情関係”は深かったのかもしれない。とても複雑な心境では「小野さんには本当にお世話になって、色々教えていただいて感謝しきれません」なんてサラッと言えないもの。「また飲もうって約束したのに実現できなくて残念」なんて、残念っていうのはサラリーマンが飲み会の夜に残業になっちゃった時と同じレベルでしょう?相手が死んじゃったら本当にもう会えないんだよ、死人の口元にお酒をつけてあげることはできても一緒には飲めないんだよ。「天国でもバイクと釣りを楽しんでください」って、なんかすごいメルヘンな発想だわ。天国で釣りしたら、魚ではなくて鳥とか引っ掛けちゃいそうじゃないの。
スリープしたパソコンの黒い画面を見つめたまま、私は何もコメントが浮かばない。今さら何を言ってみても小野さんから返ってくる言葉はない。だったら、何も言えない。何も言いたくない。小野さんとの会話が大好きだったから。