【1】
雨風をかき分けるように進む京浜東北線の電車は、蒲田駅へと向かっていた。
雨粒の音は大きくなっていく。激しいノックのように車窓をたたきつける。先刻までの夏の青空は一変し、雨景色が主役を奪いとった。
おばあちゃんの言ってたとおりだ、と香月沙織(かづきさおり)は思った。手に持った花柄の傘に目を落とす。今どきの女子高生が持つには、やや渋いものかもしれない。
今日はきっと雨が降るから、傘を持っていきな―沙織の祖母、幸子は朝の日差しに目を細めながら言っていた。庭で戯れる蝶々の高さが、いつもより低い。つまり、湿気が高く羽が重たくなる。それが幸子の先見の理由だった。何より西の空がかすんで見える。こういう時は雨が降りやすい。天気は西から東へと変わるからだ。熟年の知恵に、沙織は感服していた。
蒲田駅に到着し、改札をくぐりぬけ、沙織は東口の下りエスカレータに乗った。
一階フロアに近づくにつれ、沙織は顔をしかめた。雨足がさらに激しさを増していたからだ。
構内には傘を忘れた人達が、憎らしそうに空を見上げていた。
ふふっ、私は持ってるもんねー。心の中でピースサインを作りながら、沙織は花柄の傘をさした。わずかな優越感が広がった。
東口の構内を出ようとした時だった。
沙織の目の端に、小学生の姿が映った。紺色の制帽をかぶった少年だ。眉毛をへなっと曲げて、雨の行方に顔をくもらせている。傘を持っていないようだ。
沙織は足を止め、
「ぼく、傘ないの?」腰を落として訊いた。
少年はこくりとうなずく。結んだ唇に不安がにじんでいる。
うーん、どうしよっかなー。沙織は迷った。傘を少年にあげようかどうか。少年は捨てられた子犬のような表情をしている。くぅーん、くぅーん、と聞こえてきそうだ。
悩んだあげく、沙織は傘を少年にあげることにした。「はい、これ。気をつけて帰りなよ」
少年は花柄の傘を受けとり、沙織の顔をじっと見つめると、すぐさま走り出していった。ランドセルにかけられた《徳丸しんご》というネームプレートが揺れていた。
「おーい、徳丸くん……」
ありがとうくらい言えないもんかね、と沙織は不満に思ったが、それ以上に無事に帰宅できるといいなあ、と願った。
走って帰るか……、沙織は空は見上げた。女子テニス部キャプテンの意地を見せてやる。ラケットバッグのショルダーストラップを握り、短く息を吐いて、覚悟を決めた。