受賞作:
『夕照の道』ウダ・タマキ(『この道』)
受賞理由:
令和4年度に開催した第9回ブックショートアワードも、日本博主催・共催型プロジェクト「日本各地のストーリー公募プロジェクト」として募集を行いました。700作品以上の物語が集まったなか大賞に選ばれたのは、ウダタマキさんの『夕照の道』です。モチーフは、北原白秋作詞、山田耕筰作曲の「この道」。昨年度に続いて童謡の二次創作が選ばれています。
「この道はいつか来た道」からはじまる原作同様に、『夕照の道』は記憶を題材にした物語です。高校卒業以来、父と距離を置いてきた主人公のもとに病院から連絡が入ります。父について医者から告げられたのは、若年性認知症の可能性。しかし、主人公にとって、<あなたとの十年ぶりの再会に喜びや感動は一切なく、湧き起こる感情は悲哀と積年の後悔だけでした>。
父はかつて、ギャンブルとお酒にまみれた生活を送っていました。耐えられなくなった母は、父と小学生だった主人公を置いて姿を消します。その結果、父はお酒もギャンブルも断ち、幼い主人公に愛情を注ぎますが、母を失った悲しみと、その原因を作った父への憎しみが消えることはありません。
<いずれ、あなたの記憶からは消えてしまうかもしれない辛い過去が僕にはありますから>。
けれども、変化は訪れます。退院の日を迎え、息子である自身の記憶さえ曖昧な父と実家に続く夕照の道を歩く主人公。彼の頭には、かつて家族でこの道を歩いた記憶が甦ってきます。そして、懐かしい時計塔が鐘の音を鳴らします。
<僕はポケットから鍵を取り出し、慎重に鍵穴に挿しました。随分と年月が経つのに、ぴったりと合ったことに驚きと喜びの感情がこみ上げてきました>。
十年の空白が簡単に埋まることはありませんし、父のなかで記憶が消えてしまったとしても、主人公が辛い過去をなかったことにすることはできません。それでも、主人公のなかにこれまで父――酒とギャンブルに溺れた父であり、自分に愛情を注いでくれた父であり、並んで夕照の道を歩いた父であり、十年間連絡をとっていなかった父であり、いまは若年性認知症を抱える父――の記憶が堆積している限り、そのどれか一面ではなく、そのすべての総体である父とこれから新たな関係を結ぶことができるはずです。この物語は、そんな人間関係の複雑さと豊かさを教えてくれます。<僕が過去を全て許すには、もう少し時間がかかりそうです>が、この家族がおくる新たな生活が穏やかなものでありますように。
受賞者のウダタマキさんはこれまで幾度も認知症をモチーフにした作品をブックショート関連のアワードにご応募いただき、優秀作品に選ばれてきましたが、今回初めての大賞受賞となりました。