小説

『人間犬』太田純平(『人間椅子』江戸川乱歩)

 私は本格的に『人間ゴールデンレトリバー』の製作に取り掛かった。
 通常、着ぐるみの製作には二ヶ月掛かる。デザインをし、素材を調達し、モデルを組み立て、削ったり、裁断したり、縫ったりする。
 私は「新戚の依頼」という形で、外見がリアルなゴールデンレトリバーの着ぐるみを発注に掛けた。あの老犬が死ぬまでに完成させなければいけないから、さすがに「全部自分一人で」というわけにはいかなかった。基本的なデザインを私がして、他の部分は全て会社に任せた。会社の連中はありがたい事に、私の頼みという事で、忙しい中最優先でやってくれた。
 そして、製作開始から四十八日目。
ついに、金澤家のゴールデンレトリバーそっくりの着ぐるみが完成した。
「アア、この着ぐるみを着てあの奥様に可愛がられる――」
 そんな想像をするだけで、この世に生まれただけの価値があった。
 しかし、これはあくまで計画の第一段階である。第二段階は、どうやってあの老犬と入れ替わるかという問題だ。
 私はてっきり『犬用の睡眠薬』なるものがこの世にあると思ってネットで調べたが、どうやら『犬用』という類のものは無いらしい。犬に飲ませる睡眠薬は、あくまで人間に飲ませるものと同じ成分であって、違うのはその分量だけである――というのが、私がネットで得た知識だった。しかも犬に飲ませる量は、人間の致死量に相当する、らしい。
 私はとにかく病院に行って、早速、睡眠薬を処方してもらった。

 
「アア、人間ゴールデンレトリバー計画」
 私が考えた、基本的な筋はこうだ。
 まず、あの老犬に睡眠薬入りの餌を与える。そして眠ったのを確認したところで、自分のアパートまで犬を運ぶ。そしてすぐさま着ぐるみを持って金澤家の敷地の中に忍び込み、着ぐるみに着替える。日が暮れて、家に引き入れられてからは、なるべく発覚しないように大人しくしておく。ひとしきり奥様に可愛がられ、奥様が寝静まったタイミングを見計らって、脱出を図る――というものである。
 しかし、我ながら、この計画は穴だらけである。
 まず、あの老犬に、どれくらい睡眠薬を飲ませればいいのだろう。ましてやどれくらいの時間で効き目が表れ、どれくらいの時間寝てくれるのだろう――。
 それに「アパートまで運ぶ」と簡単に言ってみたものの、金澤家から私のアパートまで、どんなに走っても五分は掛かる。眠った大型犬を抱え、誰にも見られる事なく、アパートまで辿り着けるだろうか――。
 いや、最悪、ここまでは行き当たりばったりでもいい。しかし問題は、家の中に引き入れられてからの行動である。正直、犬として、どういう行動をすればいいのか皆目見当がつかない。エサを出されたらどうすればいいのだろう。小便はするのだろうか。どの部屋に居て、どういう素振りを見せるのが「ゴールデンレトリバーらしい」のだろうか――。

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