小説

『網棚の遊戯者』間詰ちひろ(『屋根裏の散歩者』『赤い部屋』)

 智子は北村静子と、これまでずっとコンビを組んで仕事をしていた。入社して三年間のあいだは、新人はコンビを組んで仕事を覚えるというのも、社内規定のひとつだ。お客様との打ち合わせや、企画案を考える時など、入社してからずっと一緒に行動していた。その北村が異動すると思うと不安で仕方がない。
「しかも、北村先輩のかわりにくるのが、よりによって里田主任だなんて……」
「うん……。私も、そこだけが心配でね。明石さんに申し訳なくて。むしろ明石さんひとりで、もう仕事を進められるんじゃないかって、上にも言ってみたんだけどね。明石さんはまだ二年半だから、あと半年はコンビを組んで仕事を覚えさせるのが決まりだって言われてね……」がっくりと肩を落としている北村の姿をみると、智子は申し訳ない気持ちになってしまった。
「だ、大丈夫ですよ! あと半年、なんとか頑張ってみます! コンビを組んだら里田主任と意外とうまくやれたり、して……」
 最後のほうはごにょごにょと濁してしまったが、智子は空元気を見せた。結婚して異動する北村が責任を感じるようなことじゃないのだから。

 里田光男について、智子はいい評判を一度も聞いたことがない。三十五歳、バツイチ。一見爽やかに見えるものの、生え際の後退は隠せなくなってきている。若い女子社員にはセクハラまがいの言葉を発したり、自分よりも成績の悪い同期や後輩に対しては見下したような話し方をする。自分のミスはとことん責任逃れをするくせに、誰かがミスをすると容赦なくダメだしをする。目上の立場の人にはあからさまにゴマをすってみせる。口に出して宣言することではないので、確かな人数は分からないけれど、里田をよく思っていない人は社内でも多い。嫌われ者の里田と、二週間後からコンビを組んで一緒にやっていけるのだろうか? 智子は考えれば考えるほどうんざりして、胃が痛くなった。


 仕事からの帰り道、シクシク痛む胃を抱え、しょぼくれたままに電車に乗った。数駅が経過したのち、運良く目の前の席が空いたので「ラッキー」と思って座った途端に、麦茶の雨が網棚から降ってきたのだった。麦茶の雨に濡れた智子の白いシャツには、智子の心を映し出すかのように、茶色い麦茶のシミがじんわりと広がっていた。

「明石さぁ、おまえ、いつまで新人のつもり? いまだにコピーもろくにとれないワケ?」

 里田の嫌な噂はたくさん聞いていたけれど、実は以外と優しかったりして……という智子の願いはあっという間に打ち砕かれた。
 里田は何かにつけて、智子をばかにした。智子が出した案に対してお客様が難色をみせると「女の浅知恵で浮ついた企画だしてさ。お客様に失礼だと思わないの?」など帰り道では必ず説教された。またその逆に、智子が発した言葉に「その案、おもしろいね」とお客様が乗り気になったりすると、さも自分が考えていたかのように手柄を横取りするのは当たり前になっていた。

 社内にいるときは他の人に聞かれると「パワハラ認定されそうで、まずい」と思っているらしく、里田から受ける嫌がらせは少なかった。しかし、お客様のところへ訪問したり、打ち合わせのために出かける道すがら、里田はちくりちくりと智子に嫌みを言い続けた。いつまでも新人のつもりで甘えているよねとか、色仕掛けで仕事とれるから女の人は特だよね、などと仕事に関係のないことまでぐじゅぐじゅと絡んでくる。パワハラだとか、セクハラだといって誰かに相談したい気持ちもあった。けれど、あと少し我慢すれば、コンビを組まなくちゃいけない期間は終了する。そう考えて智子は耐えつづけることにした。けれど、ストレスを感じているのは間違いない。里田とコンビを組むと聞いた日から、智子の胃はシクリシクリと痛みつづけていた。

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