小説

『海辺のボタン』もりまりこ(『月夜の浜辺』)

 でも、忘れるほうは、かつては思っていたはずなのに忘れてしまうことらしい。そういわれると、落としたものなんて数えきれないぐらいあるような気がして来て、たとえば今までの人生でうっかり落としたものたちが宿る引き出しがあったとしたら、その空間は隙間がないくらいにいっぱいになりそうな感じがしていた。

 おとしたり、わすれたり。
 わすれていたひとを、ふいにおもいだしたり。

 知ってる?
 なに?
 つきよのばんに ぼたんがひとつ なみうちぎわにおちていた っていうの知ってる? 亮ちゃん。
 それってチューって答えようとしたら、栞は返事なんか期待いていないみたいにそれは、むかしむかしの詩人の中原さんというひとが書いたんだよって答えた。だから知ってるってって言おうとしたけど、栞が語りがたっていたので口をつぐんだ。
「月夜の浜辺」っていうタイトルなの。なんかむかしっぽくていいよね。で、これからさ、月夜の浜辺ツアーしない?
 なにそれ?
 だから、浜辺でほんとうにボタンが落ちているかもしれないから、ボタンを拾った人が今日の夜ごはんをおごられるっていうルール。のる? のらない?
 こういう無茶な提案をしてきたときに、のらないという選択肢は許されていないのを知っていたから、亮はうんうんって頷いた。

 江の島に着いた。
 磯臭さと花火の燃えかすがけっこう鼻につく。栞はちゃっかりおもちゃのスコップをどこからか見つけてきて、あたりかまわず掘っている。
 犬かおまえはと思いつつも、ゲームはもう始まっていた。
 亮も仕方なく、しゃがんで手で掘る。爪の間に砂が入り込んできて気持ち悪い。俺なにしてんだ? って思いながら、指に触れるのは煙草の吸殻と貝殻の欠片ばかりだった。

 栞。これって時間制限ある?
 少し離れたところにいる栞に声をかける。でも彼女は夢中になっているのか、返事をしない。ただただひたすらスコップを動かしていた。そばにいるのにいないんじゃないかって思うようなところが彼女にはあって。そんなところに惹かれたけれど、ときおり不安になる。
 しゃがんで栞は、ときどきちぇって舌打ちを打つ。

1 2 3 4 5