小説

『いくじなし』中杉誠志【「20」にまつわる物語】

 おれの手の甲にあるでっかい火傷の跡、これは酔っぱらって自分の手にアイロンかけちまった、なんて笑い話にしてるが、本当は「ガキの泣き声がうるさい」って、当時の嫁さんが息子にスイッチの入ったアイロンを投げたのをかばったときにできた火傷だ。おれは殴られるのも蹴られるのも慣れてるからいいけど、息子はまだ一才にもなってなかった。何才だろうが、子供にアイロンを投げつけるのはおかしいか。で、それがきっかけで離婚。おれは息子をもらうかわりに何もかもなくしちまって、無職の分際で子供ひとりを育てなきゃならなくなった。でも、絶望してる暇もなかったな。だって食わせてかなきゃいけねえんだから。一家心中なんてするやつは、たぶんおれなんかよりずっと頭がよくて、いろいろ考えちまうんだろう。それで暗い未来なんか考えちまって、絶望する。きっと絶望するには、ある程度の頭がないといけないんだろう。
 おれは、バカでよかった。だって、ひとつのことしか考えられなかったから。息子を食わせてくことだけ。それだけ。そのために働いたし、借金もした。借金を返すために働いて、金が貯まればちょっとずつ息子のために使った。でも、小学校に入ってからは、給食費を払うのが精一杯で、ゲームもマンガも我慢させたよなあ。テレビも古いやつで、ずっと白黒でしか映らなかったし、好きな野球もやらせてやれなかった。
 息子が中学に入ったころ、うちが貧乏だからっていじめられた。息子は、その原因が全部おれにあるっていって、おれを殴った。おれも、その頃ずっと仕事仕事で、ストレス溜まってたんだろう。ついつい殴り返しちまった。そしたら、
「親父、ケンカつえーなぁ……」
 って、泣きながら笑ったっけ、あいつ、バカだから。
 結局、おれが学校に乗り込んで、息子のクラスメイトの前で土下座して、
「どうかこいつをいじめないでやってください。こいつが貧乏なのはおれが悪いんです。いじめるならおれをいじめてください」
 っていったら、やっぱり近頃の子供ってのはおれたちの頃と違って、スレてなくて素直なんだな。やさしそうな子は泣き出して、いじめられっこも息子に謝って、一件落着ってことになった。
 次に親子ゲンカしたのは、息子が、
「中学を出たら働く」
 っていったときだ。
「バカヤロー、中卒じゃろくな仕事はねえ、高校行け」
 って、またケンカになった。高校行ったって大差なかったんだよな、実際。いまどき子供の半分以上が大学生になるんだから。息子のほうが正しかった。でもおれが中卒で苦しんだ話を聞かせたら、しぶしぶおれの意見を聞いてくれた。それで、高校通いながらバイトして、初めてのバイト代ですし屋に連れてってくれたっけ。回転するやつ。ふたりとも初めて入るから、すし食ったあとの皿をベルトコンベアに戻して店の人から怒られたな。
 結局息子は高校を出てすぐ働き始めた。工場勤務。初めて出た給料で、おれに腕時計買ってくれた。社会人になる息子におれは何も買ってやれなかったのに、息子はおれにいろいろしてくれる。もう立派な大人だ。
 そして息子は今年、二十歳になった。

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