小説

『アラウンド・ミッドナイト』もりまりこ(『文鳥』)

 それがどうしたよって言われるかもしれないし、だからなに? って喧嘩売られそうになるかもしれないことを承知で、俺はじぶんを振り返る。
 20代の頃はそんな望みがあったのだ。いちどでいいから遺伝子がらみじゃない人に親しみをもって名前を呼ばれたいと。
 流石にいまはそんなことは水に流した。
 そしてそれから10年以上の日々が過ぎて、ふたたびなまえ問題が浮上した。
 俺はいちどだれかもら、パパと呼ばれることなくたぶん生涯を終えてしまうのだろうと。どんなに。たとえば会社で疎外感をなめていたとしても家に帰ればパパと呼んでくれるちいさなものがいれば、それだけでせかいは、ちがってみえるかもしれないのに、と。
 明らかな錯覚だろうけど。錯覚であったとしても味わってみたかった。 
 そうつまらない。つまらないとつっこまれていることは重々承知だ。
 あまりにつまらなくて俺の中だけにしまっておこうと思う。
 まちがってもそんなこと、指先でつぶやかないぞと。

 ひとめぐりする円環をふしぎなリズムで進むので、あの箱の中にいる間は、まったく時間がどっちにむかって進んでいるのかわからなくなる。
 ひきこもっていた俺がふたたび街に出て、ゴンドラにひとり乗るなんて、余っ程俺は、毒されている。
 外にでても、箱の中にもどりたくなるのは、もう半ば習性だからしかたない。
 窓の外も飽きた頃、ふと向いの座席に布をかぶせられた四角い箱が置いてあるのに気づいた。ゴンドラの中は思いのほか暗かった。たぶん恋人たちのためにそういう設計になっているんだろう。
 背を屈めて乗った時、なんとなく視界にその箱が映ったけれど。遊具業者の道具かなんかだと思って気にもとめなかった。
 ゴンドラがちょうど頂上にたどり着いた時だった。
 その時、俺の乗っているゴンドラのイルミネーションだけが鮮やかな放射線状に光った。光ったと同時にファンファーレのようなメロディーが鳴った。はずかしいほど長く感じたけど、これは頂上を迎えた一台のルールみたいなものらしく、下を向いてこらえた。
 後ろの一台に頂上をゆずりはじめた時に、俺は箱が座っている隣に腰掛けてみた。もしかして危険物だったら俺は、このゴンドラもろとも吹っ飛んでしまうんだろう。俺だけじゃなく、この時間に居合わせた、彼らもとろも。

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