小説

『田中の小言』室市雅則(『小言幸兵衛』)

 床が揺れた。
 「死んでるんだもんな」
 部屋を出ようと歩みを進めるとフローリングで足を滑らせ、豪快に転んだ。
 「痛たた。困った家だ。うわ、べっとり」
 靴下が血で染まっている。
 ベッドを振り返ると赤黒く濡れている。
 「血、出し過ぎだよ。困ったね。靴下どころか、もう足まで沁みっちゃっているよ。こりゃもう履けないね」
 靴下を剥ぐように脱ぎ、老女の方に投げ捨てた。
 「足を洗おう」
 素足で一階へと降りて行った。

 気になって玄関の向こうを確認するが誰の気配もない。
 「お風呂っと」
 台所を通り抜け、洗面台の前の浴室の扉を開ける。
 しかし、扉が向こうの何かに引っかかり開かない。
 何度も開け閉めをする。
 「何だよ。もう」
 開け閉めの激しさが増し、蝶番が擦れる音が響く。
 扉の向こうで何かが倒れた音が聞こえ、扉を開けられるようになった。
中に入っていく。
 「こんなところにいたらダメだよ。」
 血まみれの白髪頭の男が壁に寄りかかっている。
 白髪も血で固まっており、光を失った瞳から死んでいるのが分かる。
 赤い印の蛇口をひねり、水が湯になるのを待つ。
 シャワーからの水が浴室内に散っている生乾きの血を流す。
 湯気が立ち上り、血の匂いが浴槽に篭る。
 「うわ、クサいな。もう」
 湯になったことを指先で確かめ、足を洗う。
 細く真っ白な足にこびりついた血が流れていく。
 鼻歌が自然と零れる。
 「あー気持ちいいね。匂いがなけりゃね。ねえ」
 ふざけたように男の顔面にシャワーを浴びさせる。
 胸に刺さった包丁を塗っていた血も流れ落ち、その刃が鈍く光った。

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