小説

『田中の小言』室市雅則(『小言幸兵衛』)

 指先で痛みがする箇所を触り、指先を確かめる。
 赤黒い血。
 「クソ」 
 指先に引っかかったままのフタをフローリングの床に叩きつけた。
 立ち上がり、苛立ちをぶつけるように床を乱暴に踏みながら、台所に隣接している洗面台に向かった。

 鏡に映る己の顔を見つめている。
 薄汚れている。
 先ほど切れたばかりの傷から浮かぶ血が一番新しい汚れだ。
 「あーあ。男前を傷つけてどうするのかね。絆創膏貼っておこう」
 洗面台の周りを確認するも絆創膏は見当たらない。
 「聞いた方が早いな」
 洗面台を出て、玄関から入って正面にある階段へと向かう。

 階段から二階に向かって、声をかける。
 「絆創膏どこ?」
 二階からの返答はなく、声を大きくする。
 「絆創膏どこ?」
 やはり返事はない。
 「仕方がないね」
 二階に上がろうと階段に足をかけようとすると玄関のチャイムが鳴った。
 足を途中で止め、ゆっくりと元の位置に戻す。
 動きを止めて気配を消してじっとする。
 すると、再びチャイムが鳴り、外から声が聞こえる。
 「おはようございます。おはようございます」
 舌打ちをし、玄関の方を向いた。
 「はい」
 「朝からすみません」
 「すみませんと謝るくらいなら最初からしないで下さいよ」
 「大輔くん?」

1 2 3 4 5 6 7 8