小説

『田中の小言』室市雅則(『小言幸兵衛』)

 棚から茶碗を取り出し、炊きたての米を盛る。
 湯気が立ち上り、その匂いを嗅ぐ。
 「悪くないね」
 電子レンジが温め完了の音が鳴らす。
 「君も静かに知らせなさいよ。朝なんだから」
 嬉しそうに台所を見渡す。
 「箸、箸、箸は」
 電子レンジが再び鳴った。
 「うるさいな。分かった。分かった」
 箸を食器洗浄器の中に見つけて取る。
 そして、電子レンジに戻り、開けようと手を伸ばすと三度目の温め完了音が鳴った。
 「分かっています」
 口調は冷静であったが、乱暴に扉を開けてタッパーを取り出し、テーブルについた。
 「あっ、手洗ってない」
 おもむろに立ち上がりシンクで手を洗い始める。
 勢いよく水を出し、丹念に洗う。
 さらに食器用洗剤を手に振りかけ、執拗なまでに手をこすりよく泡立てて洗い流す。
 「やっぱり洗剤はよく落ちるんだな。おいおい、手のアブラまで落ちてないだろうな」
 蛇口を閉め、水をよく切って、棚にかけられているタオルで手を拭き、テーブルに戻る。
 「いただきます」
 乱切りにされた大根を一口で食べる。
 「染みてるけど、ちょっと濃いな。塩分を摂らせて早く死なそうっていうのか?え?ご飯のおかずにちょうど良い?あっ、そう。そういえば許してもらえると思ってるな。じゃあ、こっちはどうかな」 
 咀嚼しながらイワシの缶詰を食べようとプルタブを起こし、指をかける。
 しかし、なかなか開かず、ムキになって力を込めて引っ張る。
 すると勢いよくフタが開き、力を入れていた分の反動で手が背面泳ぎの選手のように大きく後ろへと回った。そして、フタの鋭いフチが右の頬を掠めた。
 「痛っ」

1 2 3 4 5 6 7 8