小説

『声の欠片』もりまりこ(『薄暮の部屋』)

 その間に僕は、新聞を読む。三面記事に身元不明死体の記事などが載っている時は、前つんのめりになって読む。未だかつて妻とそっくりな被害者はいなくて、それがうれしいのか惜しいのか今のところ僕にはわからない。
 食事もちゃっちゃと済ませる。おいしいなどとは絶対口にしない。風呂は、生憎先客がいるからこっちが遠慮するか先に入るかしないといけない。
 エッグ型のキッチンタイマーをかけておく。妻が置いて行ったものだ。やわらかな電子音がしたら、僕は出かける。浴槽には干からびた長い四角錐の形のものが何本も枕木みたいにひしめいている。
 これからが厄介なのだ。近くの空き地にこいつを捨てにいかなきゃ。思いがけなく殺人を犯してしまった人の気分が、ちらっとよぎったのは、この状態にまだ慣れていない頃だった。
 こっそり夜中に、新聞の包みを目立たぬように抱えて、うしろを何度も何度も振り返りながら。どこかにこれを捨ててゆくことを思いついたのは、この部屋をこのままにしてしまうと、こいつらに占拠されてしまうからと思ったからで。特別の理由なんてなにもない。でも今はいちいち、人殺しの気分になんか浸らない。

 空き地は月の光に照らされて、ぼんやりとそこら中に影を作っていた。
 いつも僕はここにくる。半ば馴染の空間になりつつある。はやいとこ、穴を掘らなきゃ。不法投棄のあやしい人に間違われると説明することで相手を殺しかねないからだ。
 赤いシャベル。柄はところどころ剥げかけていて、肝心の掬うところは錆びているけれど、土を抉るぐらいならなんてことはない。体重をかけると、ぼこっと穴ができる。僕は丁寧に僕の一部を土に還すのだ。
 いちおう誰がなんて言おうと、僕の身体の一部がくちてしまっている訳だから。
 心の中で言葉になりそうな言葉を手繰り寄せる。
 魂は、みえないでしょ。僕は最近、たましいってこんなふうにしわくちゃで、道端に放置されてたら、きっとすっげぇでっかいバナナが、トラックかなんかのタイヤに踏まれて腐って黒ずんでるのねって、他人様から思われるようなこの欠片みたいなもんじゃないかと思うようになったんですよ。とかなんとか時にインタビュー口調で心の中で囁きながら、僕は欠片の成れの果てを、土の暖かさが感じるほど奥深くにそっと埋めた。

 在る夜。作業を終えて見上げると、僕の立っているところからずっと先の電柱という電柱のまんなかあたりで、写真の中の妻が笑っていた。
 誘蛾灯の下には、羽音がゼンマイ仕掛けになっているとしか思えない名前も知らない虫や蚊や指先でつまんだら粉々になってしまうままならぬ命のブンなどがいた。彼らに混じって、この僕がそこに吸い寄せられていた。

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