「翠巒。私は、お前が帝とやらに命じられた通り、この国に雨を降らせよう」
思いもかけず与えられた言葉に、翠巒は身を揺らした。―――青龍に気取られるつもりはなかった。それなのになぜ。
いつからか翠巒の名は、大干魃の最中にありながら雨の絶えない村の名と共に、「龍と通じた呪術師」として人口に膾炙していた。その名は宮廷にも伝わり、帝は翠巒を召し出して、「龍に命じて国に雨を降らせよ」と命じた。返事は後に、と答え、帝の部屋を退出しようとした時、側近の一人が翠巒に近づき、耳打ちした。「…さもなくば、宮廷に参じ、この宮廷にも雨が降るようにせよ」と。
翠巒には、この旱魃が天の意志だということがわかっていた。天との調和を学んだあの村は、翠巒が去っても自然の恵みを受け続けることができる。しかし、例え翠巒が参じても、天との繋がりを自ら断ち切ってしまった宮廷には、一滴の雨も降るまい。
翠巒は、己がやがて殺されることも予知していたが、それでもよいと思っていた。
「お前の決意は知っている。しかし、お前の命は宮廷のものではなく、この国のものだ。お前なくして、この国が新しい時を迎えることはできない」
「しかし……しかし、貴方はどうなるのですか」
問うた翠巒の唇が震えていた。既に、予感があった。
「雨を降らせたとき、私は死ぬだろう」
菜の花が一輪。翠巒の手から落ちた。
「だが、構わない。天の意志を計い知ることはできないが、これでよいのだろう」
穏やかな、気持ちのよい春の日であった。
流れる風に導かれるように、翠巒は青龍の躰に触れた。青い鱗に包まれた体は、春の川のように冷たく、温かかった。
「…あまりに多くの言葉と時を分かち合ったので、私は貴方を、別の存在だと思うことができなくなりました」
この躰で感じる最後の一時を噛みしめるように、翠巒は言葉を繋いだ。
「青龍。私は貴方で、貴方は私です。
貴方の躰が滅びても、私が生きている限り、貴方もまた、生きています。私の躰が滅び、再び相出逢う、その時まで……貴方の魂の永遠を、この胸に、秘めていましょう」
長い長い沈黙の後、翠巒は青龍から離れた。青龍は千の言葉より多くを語る瞳で翠巒を見つめ、そして、天に昇っていった。
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