龍は人のような名を持たなかったので、纏っていた衣の色から、「青龍(セイリュウ)」と呼ばれるようになった。
青龍は大変物知りだったので、翠巒が講話をする時は皆と共にそれを聞いていたが、読み書きを教える時などは、翠巒の手伝いをして子供達に教えるようになった。始めは警戒していた子供達もやがて「青先生」と呼んで親しむようになり、始めは畏怖していた大人達も、翠巒との語らいの中で見せる寛いだ青龍の姿に、次第に心を和らげていった。
そしていつからか、青龍の存在は、広く世間に知られるところとなった。
***
光陰矢の如し。翠巒が龍苑寺を訪れて二度目の春が巡ってきた。
翠巒は、地平の向こうまで続く青空の下、一面に輝く黄金色の中に立っていた。その手には、子供達に食べさせる菜の花が抱かれている。一本一本、愛するように摘む翠巒の手から、青龍が受けとり、束にしている。
休みなく働いていた翠巒の手が、ふと止まった。屈めていた背を伸ばし、辺りを見渡す。村は、自然の恵みを胸一杯に吸いこむように美しく輝いていた。その美しさを前にして、翠巒は、痛みに耐えるように眉根を寄せた。
このころ、季節外れの大旱魃があった。全土を干上がらせているこの旱魃は、龍のような諸天善神の力に依るものではなく、天上の意志に依る特別なものだった。雲は天と調和している者のもとにのみ訪れ、その外には一切訪れなくなったのだ。
「皆…苦しんでいるでしょうね」
空の向こうを見つめて、翠巒が呟いた。
青龍は翠巒の手から菜の花を受け取り、五つ目の束を作って地面に置いた
「おそらく、新しく生まれ変わるこの国を支えるために、多くの魂が天に呼び戻されるのだろう」
青龍の言葉を聞いた翠巒の瞳に、光の雫が浮かんだ。
「多くの者が……死ぬのですか」
哀しみも恨みも語らぬ透明な泪は、ただ大悲ゆえに、はらはらと流れた。
それを目にした青龍の魂が、激しく軋んだ。それは、かつて他の人間を前にして感じたものとは違う、不思議な痛みだった。
陽光染み込んだ春風が、翠巒の長い髪をきらりきらりと揺らす。菜の花も共に揺れ、慰めるように、翠巒の足に柔く触れる。
青龍は、久しく還っていない空の青を見上げた。そして再び、黄金の地を見た。
「この春は……かつて見たどの春よりも、美しい」