小説

『あるところにマッチ売りの少女がいました』砂山じんた(『マッチ売りの少女』)

 あるところにマッチ売りの少年がいました。マッチ売りの少年はマッチを売って暮らしていました。子供特有のあどけなさと可愛さだけを頼りにしているふうな拙さがあってそこのところをつつきマッチはそれなりに売れました。しかし一人でさばくには限界がありましたしつねに鼻づまりに悩まされていたので暮らしは豊かとは程遠い緊迫した状態でした。おじいさまは生前マッチ売りの少年に綱渡りの暮らしを手ほどきしましたがそれはある程度の貯えがあってこその解釈でありマッチ売りの少年にはつらく厳しい現実の戦いの象徴でもありました。とても真剣にマッチを売ったら明日にでも余裕を生むのだろうか。悩んでいても仕方がないというくらいにそのため息は真っ白の風船のように張り詰めていました。昼日中から晩にかけてマッチを売っているとたまに買い物帰りの人がパンやお菓子をくれることがありました。そのときマッチも買ってくれればいいのにと思いますが望めばきりがなくなりそうで恐かったのでありがたく頂戴し遠慮をしても埒は開かぬと遠いおじいさまの言葉をせつなに胸に刻み落としました。ゆるやかに雪の流れる間を雪ん子のように小さく丸くなって歌うようにマッチを売る少年の姿は寒さとは裏腹にとても神聖なもののような光と影のコントラストを持ちあわせているようでした。それはどんなに困窮な状態でありひどい有様をさらしていたとしても揺るがない芯の逞しさをあらわしていましたからいざとなれば助け船を出す手はずだという覚悟をした人々はけっこういました。しかしそれをマッチ売りの少年は知りませんでしたからいつも独りぼっちのような気がしておじいさまの残してくれた一軒家に帰りつくと家があるだけだいぶんマシだと思いながら眠りにつきました。そして仕事がある。ある日マッチ売りの少年は一陣の風のように閃きました。夜のうちに寝床に詰まっていた知恵が見事なセンテンスを生み出しました。マッチをこすり炎に向かって願いをすると願いが叶うといって若年層に向けた可愛いパッケージに変え売り出したところこれがなかなかの売り上げになり次には年代別にそれぞれの趣向をこらしたマッチを売り出しました。クレヨンで描いたお手製のパッケージが妙に受けマッチ売りの少年の純真無垢さと拙さとが相まって人気を博しました。例えば大人なら疲れを癒す効果も望めるだとか緑の付加価値をつけたのです。マッチはそのままに箱の飾りだけが違うので効果はそのともしびなのですが一人が叶ったと言い出すとそれは瞬く間に噂の煙となり広がっていきました。純真な子供から買うとその炎は願いを叶えるという評判が街中を占めマッチ売りの少年は充分に余裕のある明日の富を得ました。さてブームが始まれば終わるときがくるのが世の常ですがマッチ売りの少年はどうしたのでしょうか。一時はリアカーを引いて売っていましたがやがてそれは静まりマッチ売りの少年は明日の富を望める毎日のなかで学校に通い今でも街頭でマッチを売っているとかいないとか。

 あるところにマッチ売りの犬がいました。マッチ売りの犬は牧羊犬で犬だけではどうにもならないのでサポート役がいつも脇に立っていましたがそれは人の形をした銅像でした。銅像には命がありました。喋れはしませんがいつの間にか動いていますしテレパシーを使ってマッチ売りの犬に指示を出してその日の暮らしを支えていました。川沿いのバラックが住処でしたがマッチ売りの犬は犬なので食べ物さえ手に入れば生きていけるほどでしたし銅像は銅像なので一応の住処としての役割を果たしていました。マッチ売りの犬は牧羊犬の真摯な眼差しを持っておりそれはマッチ売りにも生かされ口が聞けないかわりに背中に背負ったメッセージボードにはマッチの価格100円とマッチ売りの犬であることが明記され少なからず評判を呼んでいました。首に下げた籠からマッチを取りマッチのお金を入れるシステムでしたが中にはマッチだけを持って行ってしまう輩もいたのでそういうときは銅像が乗り移り必要以上の金銭をとりました。

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