小説

『スーパー竹取物語』野村知之(『竹取物語』)

 ――続けざまにくしゃみが出た。いつとはなしに、風が冷たくなっている。なにしろ何もかもが剥き出しなのである。寒くないわけがなかった。私は試しに甲板の上を、思うさま転げまわってみた。すると温かくならないでもなかった。勢いづいて転げていると、小船の外にまろび出た。ああ自分はこれで死ぬのかな、と思わないではいられなかった。
 ごとりと体が跳ね返った。案外に固いようである。どうやら転げまわれそうだった。私は海の上を、思うさま転げまわった。なんだかざらざらして、温かいような感じがした。ここならどれだけ転げていっても、外に出る気遣いはない。よし出ることがあったにしても、船に出戻るのみである。私はどしどし転げていった。
 人は海を転がれぬ。ゆえに私は、なかば人でなくなったのだろう。人外境の魔物が見える。鬼の姿がたしかに見える。日に手の届くが如き巨人である。そいつが現れたからだろう、ものすごい臭いが辺りに漂った。ばかでかい指のあいだに、真っ白に乾燥した丸太ん棒を、まるで楊枝でも扱うように摘んでいる。木の先っぽは燃えており、はぜる音といっしょに煙が立っていた。遠雷さながらのだみ声で、何事か言ったようだが判然しない。ただ一つだけ明らかのは、私を捕らえようとしている事であった。燃える巨木を振り上げて、私に振り下ろして来おる。
 火を生じんばかりに回転の度を早めた。すんでのところで魔手から逃れる。鬼はそれより以上、追って来ようとはしなかった。また何事かを呟いて去ってゆく。依然、意味は判然しない。そこで自分はこう叫んだ。
「ざまをみろ、この木偶の坊めが。でかければ良いというものではないのである」
 向こうも、こちらの言葉は解せまい。私は満足感を覚えて、しばし回転を休める事にした。
 潮風が全身を撫ぜる。海猫の鳴く声がする。天空には満月ひとつ。姫がこちらを見てござる。何も申すことはない。このまま天上に往くのも可なりである。海上とは、かくも快適なところであったか。どっしりと包みこんでくれるような心地がする。まるで地上にいるかのようじゃ。
 すわや、人と眼が合った。羽衣を身にまといつかせた女であった。さては天女か。なれば自分はもう天上に来ておるのか。そう思っていると、天女がその身をこごませて、眩しいぐらいに光る川から、銀の椀で水を掬うところである。
 彼女の手が止まった。互いに合わさっていた視線が、次第に私の総身にゆきわたる。下半身に及ぶに至って、その目も止まった。こちらも体を動かせずにいる。女の背後には、巨山がそびえ立っていた。
「この山は、何ですか」私は問うた。
「これは蓬莱山です」と相手は答えた。「ようこそ、いらっしゃいませ」
 そう言いながらも天女は、目線を微動だにしない。私は逆上した。蓬莱山は本当にあったのだ。なれば例の物も有るはずだと、「玉の枝は、何処ですか」と尋ねた。

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