「寒い冬が北方から、狐の親子の棲んでいる森へもやって来ました…」
先生は生徒たちを順番にあてて、朗読させていった。
「はい、次は田辺くん」
あてられた男の子は、胸を張って立ち上がった。ギイ、と、木製の椅子が後ろに引かれ、その脚が床に擦れる音が響いた。教科書を両手で顔の前まで持ち上げ、大きく息を吸い込む。頬を少し赤らめて、
「母さん狐がびっくりして、あわてふためきながら、眼を抑えている子供の手を…」
私は緊張して、自分の順番を待っていた。先生は教科書を手に持ち、座っている生徒と生徒の間を歩いていった。その目は、教科書と、朗読している生徒とを交互に見やった。
「はい、じゃあ谷口くん」
女性特有の柔らかさに加え、ほんの少しの厳しさが滲む声だった。母の、優しすぎるほど優しい声とはまた違っていた。私は、先生が好きだった。母のように慕っていた。しかし、この声の違いには当時から気がついていた。そしてそれを不思議に思いながら、先生の声に含まれるその厳しさが何を意味するのかまでは、まだわからないでいた。
私は、幼い頃から人前に出ると通常の人以上に、過度に緊張する質だった。人に見られていると思うと、頭が真っ白になる。心拍数が上がる。いつもできていたことができなくなる。そうして、恥ずかしい思いだけをして、しゅんとしてその時間は終わる。しかし当時、私は私なりにその欠点を克服しようと努力していたように思う。授業中は自ら進んで手を挙げるようにしてみたり、発表会など、注目を浴びる機会があれば逃げようなどとはせず、むしろ前へ出るように努めてみたりした。だが、その努力が功を奏することはなく、私の上がり症は大人になってもなかなか治らなかった。そんなだったから、このような朗読の時間でも、自分の順番が回ってくるまでは気が気ではない。人の朗読を聞いている余裕などはなく、もしも順番がやって来て読み間違えたりしたらどうしよう、などと自分のことばかり考えている。その間も、胸は高鳴り、口は渇く。鼓動の波が押し寄せてきて、なんだか背中の方がむず痒い思いがする。早く自分の番が来て欲しい気持ちと、そうでない気持ちとが交錯する中で、今か今かと待っている。