昼下がりのゆとりのある時間など、一人でいると、何かの想いがふと頭をもたげることがある。白昼夢だろうか、甘く曖昧な輪郭のそれは、デジャヴ、というにはもう少し具体的な、記憶のようなものだろう。
先日、私は少々荒んだ気持ちでとある喫茶店の椅子に腰掛けていた。窓の外では二月の木枯らしが吹き、過ぎ行く人たちは皆コートを着て、寒さに身を縮めて歩いている。オレンジ色の電灯に照らされた温かい店内は混み合っていて、ざわざわと騒がしく話し声が行き交っていたが、それらの音は私の耳にほとんど入ってはこなかった。明るく温かく、賑やかな店内ーそのような場所に居たにも関わらず、私は独りだった。私は、目の前に広げた雑誌を見るでもなく見ながら、自分の内側に湧き起こったある怒りに意識を向けていた。憤る気持ちを誰かにぶつけたくなるような、やるせない衝動、それが心に芽生えていた。と、言っても誰にぶつければいいのかわからない。やり場のない怒りが胸の内に蟠った。世間という、固いしがらみにがんじがらめになった場所で私が見聞きしてきたことが、あまりにも理不尽で、間違ったことのように感じられたのだ。それまで無意識に堪えていた怒りの鬱積が、突如として意識の上に表出してきたのだった。
その時私が怒りを向けていたのは、ある線に対してだった。社会に張られた、ひとつの線。それは、同じ人間をこちら側とあちら側に分ける、きれいに、作られた微笑みを以て包装された線だった。少なくない人々が、その線を越えないように慎重に意識をして生活し、その為に、本来の自己とは違う仮面を被って、窮屈そうに生きていた。私はそのような人々を見れば見るほどに、その人たちが悪いのではないとわかっていながらも、なんともやりきれない不安と失望、そして憤りを、感じないわけにはいかなかった。
しかし結局のところ、そのような気持ちのやり場などはどこにもなく、眉間に皺を寄せたまま不快な思いを抱いていると、挽きたての珈琲が一つ、若いウエイトレスの女の手によって運ばれてきた。彼女は、お待たせいたしました、と言って、私の目の前に珈琲カップを置こうとした。その手つきはなんだか辿々しく、手元は少し震えていた。まだ新人なのだろう、カップはカチャン、と音を立てて机の上に置かれた。