むかし、もろこしの邯鄲の町で、盧生という青年が呂翁という道士(修験者)から枕を借りて眠ったところ、富貴をきわめた五十余年を送る夢を見ましたが、目覚めてみると、枕もとの黄粱(大粟)もまだ炊き上がっていないわずかの時間であったというのです。この小僧は、もしかしたら、邯鄲の枕で眠った盧生と同様の経験をしたのではなかったでしょうか。盧生が夢から覚めてみると、五十年もの時間が炊きかけのご飯がまだ出来上がっていない間のことだったのですが、この小僧の場合も、一ヶ月余の生活をほんの一瞬で経験してしまったというわけです。