小説

『桜花舞い踊る卯月、僕ラハ涅槃ニテ酩酊ス』灰色さん(『桜の樹の下には』梶井基次郎)

――10分程歩いて辿り着いた、月曜日の日常や都会の喧騒から離れた河川敷。流れ続ける水のせせらぎと不規則に魚が跳び跳ねる爽やかな音、そんな蒼い清涼さを、淫らにそして鮮やか過ぎる程に染めあげる、視界を覆う桃色と薄紫の饗宴。
 見上げれば、裸の太陽と青年のような青空すら、幾千もの花魁に抱かれ、そして金網のような枝葉によって姿を隠されて、僕らはまるで現し世から隔離されてしまったかのような幻覚に堕ちてゆく。
花々に照らされても尚、蒼白いままで綺麗な君。透き通ったままの一瓶、濁りゆく二瓶、泡立つ三瓶と空く酒瓶。ウイスキーの琥珀色に、はらりと浮かぶ桃色の花々。杏露酒から滲む、東洋神秘な甘味に異国の広大な地を想う。栓を抜いたビールの爽やかさと深いコクには揚げ物や煮込みが合うねそうだよね!そうだ、ここで自由詩でも詠い合おう!僕らの自由な今のような、秩序の無い無軌道な詩を!
――「僕は妄り、乱れる、枯れ三唱、宴や謡え、うたた寝のママ。桃缶、肺患、羅漢の花椒、赤に灯りを怒りの官女、季節外れのお盆のぼんぼりボンジリが合うビールには!」
……「私は耽り、溶ける、楼閣の蠟、宴に奪う、唇と蛭。静観、叫喚、みかんの果糖、赫に怒りに染まるシタイ、季節外れの灯篭流し、裸体に供える外郎の白」
 言葉と揺れる酩酊、降り注ぐ桜雨、清涼さと猥雑さに意識が混濁するような感覚。時と場所すら忘れかけた頃、ひどく現実的なブルーシートが、激しくそして幻惑的な桜吹雪によってはためいた刹那、不意に君は呟いた。
 「桜が散る頃、私はもうこの世界にはいない」
――四月の乾ききったアスファルトの上、そう淡々と、しかしそれが確定的な事象であるかのように、何時かの君が呟いていた午後。その記憶がふいに甦った春と修羅。季節外れの花火のように拡散する淡い色彩、或る花弁は蒼白く、或る花弁は紫色で、或る花弁は桃色と紅白に、また或る花弁は永遠に咲くことが無い。だが、それらの無数の花の舞と死が幾重にも重なって桜の木を形成し、全ての嘘と罪を覆い隠すかのように艶やかに、そして淫らに咲き誇っていた。
 桜の木の下には死体が、井戸に投げ込まれたと思われた、思わせぶりな白装束の彼女の千里眼は安全剃刀で切り刻まれ、桜の森の満開の下は女の夢幻と媚態、転がる首首首首から沸きだす蛆と蟻の群れですら愛おしい。
時計の針が触れる間に炎上するフェラーリ、駅前の名画座で永延と流れ続けるフェリーニのフィルムにモザイクを細工すれば、きっといつかは君が喪った心と絹のような黒髪が回転寿司あるいは流しそうめんに流れてくるかもしれないから、こうしてWhiskyはダブルでは無くシングルのままで座っている。

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