小説

『評論といふもの』遠藤大輔(芥川龍之介『沼地』)

 彼は、「天地無用」という劇団で役者をしているサカモトといいますと自己紹介をしてくれた。私がその劇団もサカモト氏のことも存じ上げていないことを詫びると「結成したばかりなんで」と無機質に笑った。この公演には知り合いの役者が出演しているので観にきたそうだ。東京の小劇場系の役者が互いの芝居をみあうことはよくあることだ。そのほとんどは身内ウケにとどまるのだが、ごくたまに今日のような芝居に出会える瞬間があるからたまらない。私は挨拶もそこそこにして自分のノートを開き、矢継ぎ早に感想をお願いすると意外な答えが返ってきた。

「駄作でした」
「駄作――ですか?お客さんの大半は感動して圧倒されていたようにみえましたが」
「ワケが分からなくて困っていただけですよ。何がやりたかったのか全く分からない作品でした」

 私は彼がこの先、役者として売れることはないだろうと思った。もちろん人によって芝居の好みはある。固い芝居が好きな人もいれば、絶えず笑いが起きるような芝居が好きな人もいる。しかし、好き嫌いはあるにせよ、『分からない』と言って理解することを拒むようでは演劇界で活躍できるような人物にはなれない。これまで何千本の芝居と何千人の役者をみてきた私が言うのだから間違いない。さらに致命傷なのが、こんなにいい芝居を観ても面白いと思えないことだ。聞く相手を間違えたと今更ながらに思った。

「演劇をアートっぽくする奴らって嫌いなんですよね。分かる奴だけに分かればいいみたいな。それってけっきょく描ききれていないってことじゃないですか」
「私はこの芝居はアートではなく、しっかりとした骨太な演劇だと思ったけど」
「じゃあ説明してもらってもいいですか? この作品は何をモチーフに書いて、何を言いたかったのか」
「それはまだ私も整理していないからうまく説明できないんだけど」
「それって分からなかったってことじゃないんですか?」

 彼は鼻で少し笑ったあとに「僕の感想っていつも評論家の方たちと真逆なんで気にしないでください」と付け加えた。私は芸術を分からない人とこれ以上語っても仕方のないことだと思いながらも、このまま言われ続けるのも癪で反論した。

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