「それを売ってくるといいわ」
男は現在無職。蓄えは雀の涙ほどでしょう。なのに、男は首を横に振りました。
「これを売ることはできません。これは千鶴さんから頂いた、お金に変えられない、大切なものですから」
千鶴は猛烈な庇護欲に襲われました。この男は今まで何度、この人の良さで、損をしてきたのでしょう。
……このひとには、わたしがついていてあげなくちゃ。
「反物ならいくらでも織ってあげる。だから、早く売ってきなさい」
「千鶴さん……あなたは、どうしてそこまで……」
千鶴は耳を赤く染めて、言葉に詰まってしまいました。そんな千鶴の心境を知ってか知らずか、
「……わかりました。千鶴さんのお言葉に甘えます」
男は大事そうに反物を風呂敷に包むと、小屋を出て行きました。
夕刻。
小屋に戻ってきた男は、消沈していました。
「もしかして、売れなかったの?」
「いえ……ただ、思っていたよりも、お金にならなくて」
男が口にした金額の少なさに、千鶴は驚愕しました。が、呉服屋の話によると、これが現在の相場だそうです。
千鶴は努めて笑顔を作って、男を食卓に着かせました。
「夕餉を用意しておいたわ」
「うわぁ、すごく美味しそうだ」
男は嬉しそうに笑い、ふと思い出したように尋ねました。
「そういえば千鶴さん、親戚の方には会いに行かなくていいんですか」
千鶴はとっさに嘘を重ねました。
「あなたが町に出ている間に行ってきたわ。実は、親戚に会いに来たのは、わたしに身寄りがないからで……けれど、親戚の反応は冷たくって……わたし、思わずここに帰ってきちゃったの。……もうすこしのあいだ、泊めてもらってもいいかしら?」
「そういう事情なら、いくらでも泊まっていってください」
千鶴は内心の歓喜をさとられないように、男に深く頭を下げました。
それから本格的に、千鶴と男の同棲生活が始まりました。