小説

『千鶴残酷物語』hirokey(『鶴の恩返し』)

 ぼやけた視界に、人影が現れました。
 その人影は、うずくまったままの彼女を認めた次の瞬間、慌てた様子で走り寄って来ます。
 ……人間!
 彼女は身を固くしました。しかし、
「かわいそうに」
 男は彼女に近づくや、彼女のまわりの雪を優しくかきわけ、彼女の足に食い込んだ金属板を外し始めたではありませんか。
 彼女の混乱をよそに、罠が解除されました。
「ほら、逃げな」
 彼女は急いで飛び立ちます。地上では、男が笑顔で手を振っていました。
「もうこんな罠に引っかかるんじゃないぞー」
 生き延びた安堵感から、彼女はプライドを取り戻していました。
きっとあの男がやってこなくても、自分は自力で罠から逃れられたでしょう。人間の手助けなど要らなかったのです。
 悪態をつきながら、顔がほころんでいることに、彼女は気づいていませんでした。

 翌日。
 白の小紋を着流した可憐な少女が、降りしきる雪のなか、山小屋の前に佇んでいました。聡明な読者諸兄はもうお気づきでしょう。そう、彼女の正体は、あのうつくしいメス鶴です。
 ……助けてもらった恩返しをするだけよ。
 彼女は門戸を叩きました。
「ごめんください」
 扉を開けた男と対峙した瞬間、彼女は、とくん、と胸が高鳴るのを感じました。
「えっと、どちらさまですか?」
「織幡千鶴(おりはたちづる)といいます」
「織幡、さん?」
「千鶴でいいわ」
 千鶴は昔聞いた寓話から、嘘の言葉を引用します。
「このあたりに住んでいる親戚を訪ねに来て、道に迷ってしまったの。この雪では、町の宿まで戻ることもできないわ。よければ、一晩泊めてもらえないかしら」

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