小説

『約7000羽』大前粟生(『ヨリンデとヨリンゲル(グリム童話) 』)

 

 成功だった。あんたの視線は消えて、風ひとつない森のなかで、僕は憑き物が取れたような気がした。肩こりが治って、肩こりが原因の頭痛やのどの痛み、眉間の皺や抜け毛も軽減されて、僕は爽やかそのものになり、上司からの評判も挙がって前途有望な若手のひとりとして未来は明るいだろう。そう思ったのも束の間、別の目がやってきた。一羽のフクロウが、僕たちを見下ろしていた。たいしたことはないと思った。あんたと比べたら、鳥なんてどうということはない。僕たちはせっかくだから、魔女のものとされている大きな家を見ておこうということになった。彼女は足をひきずっていたから、僕が肩を支えた。当然だ。僕たちは愛し合っているのだから。魔女は本当の魔女だった。森のなかの家まであと100歩というところで、フクロウが目の前を通り、僕の視界を塞いだ。フクロウが通り過ぎると、隣に彼女はいなくて、一羽の小夜鳥がいた。小夜鳥は僕を見て、飛び去った。

 時間が経っているはずだった。だが、一時間も経っていないような気もした。鳥カゴのなかは退屈だともいえて、退屈ではないともいえた。人間としては退屈だが、鳥としては当たり前のように思えた。よくわからなかった。鳥たちの声は鳥の声にしか聞こえず、声というよりは音だった。白い壁に反射して、混ざり合っていた。たぶん、この部屋にいる鳥は私と同じような環境にいた人たちだ。それは、安心だった。安心だったと思えるのは、鳥だからだ。人間だったら、言葉が通じたら、ちがってくる。私と彼女たちは慰めあうだろうが、それは社交辞令としての慰めかもしれないし、傷の度合いによってもちがってくるだろう。自分はこの人たちとはちがう、この人たちみたいにかわいそうじゃない、なんて思うかもしれないし、人間だったら、言葉でなんだってできてしまう。そしてそれはたぶん、その言葉たちは、希望ではない気がする。弱い私たちの言葉は絶望へ向かい、羽の代わりに地面に溜まっていくだろう。おばあさんは床にたまったインクの言葉に滑って転んで死んでしまうかもしれない。あるいは、腰が曲がったおばあさんは絶望を間近で見すぎて、どうにかなってしまうかもしれない。だが、そんなのは推測だ。確かなものはなにもない。今、確実にいえることは、羽が床に溜まってペイズリー柄が見えなくなっていくということ。

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