江戸時代の画家・鳥山石燕。彼の名を知る人は少ないかもしれませんが、彼の描いた絵を見た人は、少なからずいると思います。
彼の専門は妖怪画。今まで目に見えなかった魑魅魍魎を彼は絵として残し、中でも一番有名な『画図百鬼夜行』は、日本の妖怪文化の基礎を作ったものと言っても過言ではないほどの傑作と言われています。
しかし、石燕にはそういった不思議なものを見る力はありませんでした。それでも彼が数々の妖怪画を描くことができたのは、ある男の絵を真似たからなのです。
これはその男・与吉の話。そして石燕が描くことのなかった妖怪の話です。
時は江戸。ある街の浮世絵師の与吉という男がいました。与吉は妖怪絵専門の浮世絵師で、今までに数多くの浮世絵を描き、それを人々に売ることで生活をしていました。
なぜ与吉が妖怪専門の絵師なのか?それにはもちろん理由があります。
ある日。近くの森で山火事が起こった時、彼は
「あれは火の不始末が原因じゃない。カチカチじじいがやったんだ」
そう言って、火に包まれた老人の妖怪画を描きました。
またある時、街で大雨が降り近くの川で洪水が起こった日も
「洪水を起こした大雨は濡れババアが呼んだんだ。ほらあそこにいるだろう」
そう言って与吉は、ずぶ濡れになった老婆の妖怪画を描きました。
そうです、与吉には妖怪を見る力を持っていたのです。
だから与吉は様々な自然現象を妖怪の仕業だと知っていて、その姿を絵に描いていたのです。
しかし、そんな与吉でも未だ見たことのない妖怪がいました。
それは『台風』に住む妖怪。
常日頃からどうしても見たいと思っていた与吉は、台風が来る度に何度も挑戦しましたが、
ある時はその暴風に飛ばされ、またある時には陸から離れ過ぎたため……その思いが叶うことはなく、与吉は自分の目で台風の妖怪を見る事ができていませんでした。