小説

『人参』谷ゆきこ(『檸檬』梶井基次郎)

 問題は、これら3つの担当がとにかく対立することなのだ。組み立て担当は社歴が長いうえ商品を仕上げるのだから自分たちが最高位にいると思っているし、配置担当は自分たちがきめ細やかに準備万端整えているからこそ商品ができるのだと思っている。梱包担当は下働きの力仕事だということで、常に機嫌が悪い。そこへ組み立て担当が、配置が遅い、この部品が足りない、梱包が遅くて仕上げた商品の置き場所がないなどしょっちゅう文句を言う。配置担当は倉庫と作業机を往復して走り回ったり、部品にも不具合がないかひとつひとつ確認しないとけないし、そう早く準備できないと文句を言う。梱包担当は梱包担当で、組み立てられた商品をひとつひとつ袋に入れて大きな箱を組み立て間仕切りも入れて整然と入れ、それらをまとめて積み重ねて出荷場所まで運んでいる間もどんどん商品が出来上がるのだから、ある程度そこにたまってしまうのは仕方がないのだと反論する。
 とはいってもそれも仕方のないことだと私は思う。担当は担当だから、担当の仕事をするしかないのだ。私は私で、社員じゃないので何もできないのだ。自分の職務が何であるかをきちんと理解していれば、多少の不満は甘んじるべきではないのか。とにもかくにも早く作業を行い、生産性を上げることが一番重要ではないのか。
 一方、表だって主張したり対立したりしない者たちももちろんいるのだが、その者たちはその者たちで色々陰で言い合っているようだ。しかし、業務に支障ないのであれば、それは「ない」に等しいこと。パートたちが工場長や社員に直談判しない限りは「ない」のだ。
 ともかく、その3つの対立の板ばさみになっているのが、なぜかチーフである私なのだ。もちろんできれば私もなんとかしたいとは思う。しかし、どの主張もどれも一理あるといえばあるので、実際のところどうしていいのか見当がつかない。この程度のいざこざを工場長や社員に相談するわけにもいかない。結局、見て見ぬふりをして事なかれ主義を貫くしかない。そして社歴の長い組み立て担当たちに軽く愛想を振りまいておくのが、社員たちに告げ口されない一番手っ取り早い処置なのだ。
 おそらく私のこの気配りが、ほかの者たちの不満を買っているだろうことはわかっている。わかっているが、保身のためには必要なのだ。嫌な言葉だが、あえて保身と言おう。会社で生きていくにはそれも致し方ない。私の立場を考えれば誰でもわかるはずなのに、どうしてみんなそこに考えを至らせないのかが不思議でならない。この職場には己のことしか考えない者しかいないのだろうか。
 このような有象無象の不満が自分に向かっているという事実、そして周りの理解のなさがない交ぜになって、私を苦しめる塊になっている。くだらないことではあるが、そのくだらないものに囚われていることを認めたくないがために、「得体のしれない嫌なもの」という漠然とした表現で始末していたのだった。

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