小説

『綿四季』音木絃伽(『枕草子』第一段)

 木の実ならば胡桃がうまい。幼い時、「胡桃を食べると賢くなる」と教えられ、その言葉と、脳みそを天日干しにしたような胡桃の奇妙な形状とが混じり合い、胡桃はリスザルなど小さな賢き生き物の脳を取り出して天日干しにしたものなのだという思い込みが生まれた。頭蓋骨をぱかっと開けられ脳を奪われる可哀想なリスザル。ごめんねごめんねと思いつつもばりぼり食べた。今はもうリスザルに申し訳ない気持ちにならず安心して食べられるので、秋の鞄にはいつでも胡桃が入っている。
 冬は気持ちがわからない。
 寝ても寝ても眠気が消えずぼんやりしている。部屋の中では毛布に包まり半分眠りに浸かった状態で行進するし、外に出る時もコートやマフラーや毛糸帽でむくむく身体を温め、バスや電車や単調な道を歩く時など隙あらば眠りにつこうとする。空飛ぶ魔法の絨毯みたいに空飛ぶ魔法の布団で移動ができれば、どんなに素敵かと夢をみる。
 突然心細くなって、このままでいいのだろうかと思いついたように未来の心配をするのは冬の夜。ああ、世界は何と美しく生きるというのは何と素晴らしいことかと気まぐれに希望が満ちるのは冬の朝。ぼんやりと半分眠ったような状態で過ごすくせに、気持ちがくるくる変わるので、落ち着きと朗らかさを得るため、冬の鞄にはいつでも飴玉が入っている。

1 2