小説

『走れ孫よ』及川明彦(『走れメロス』太宰治)

 だけど足は止まらなかった。少なくとも、父さんは僕が来ると信じて待っている。
 まるでメロスだなと、酸欠気味の頭に浮かんだ。だけど時間通りにゴールしたところで誰かが助かるわけでなはい。むしろ死者の為に走っている。セリヌンティウスはもう死んだ。改心する王などどこにもいない。だが行かねばならぬと、止まってはいけないと、決意する心だけは鮮明だった。
 気付けば葬式場にたどり着き、周囲の人が驚く速度で自動ドアから入って行った。そのすぐ後に叔父さんも到着し、呆れながらも笑って僕を褒めてくれた。汗だくで喪服は乱れ、大きく肩を上下させる僕の姿に親戚達の目はやはり冷やかだった。そして父さんはただ一言「来たか」とだけ言って、お坊さんや式場の人達との打ち合わせに戻っていった。
 じいさんの葬式は、それからつつがなく執り行われた。火葬してじいさんの骨が出てくるまでの間、じいさんの昔馴染み達は酒を飲みつつじいさんとの思い出を語り合っていた。人生初めての葬式は思っていたより悲しみには包まれず、むしろ驚くほど宴会じみていた。じいさんの骨が上がっても、老人達の酒盛りは終わらなかった。
 火葬を終えたじいさんの骨は形がしっかり残っていて、頭蓋骨などまさに「どくろ」そのままの形をしていた。普通は骨が弱っていて粉になるのに、ここまで残るのは珍しいと式場の人は説明していた。
 身長も大きかったじいさんの骨は骨壺に入りきらず、式場の人は蓋をするのに難儀していた。死んでからも誰かを苦労させるとは、本当に、まったく困ったじいさんだ。
 

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