小説

『ぼくと、4つのせかい』田中和次朗(ネイティブアメリカン民話『ホピ族の予言』)

いまのぼくはというと…無事だ。
とあるお家の、とあるこどもの身体の中に吸収されていったぼくは、人間になった。ぼくにとっての第三のせかいだ。
名前は、そうすけ。草を助けると書いて、そうすけっていうんだ。
おばあちゃんから聞いたこのとても大切な物語は、このせかい聞いた物語だ。もうおばあちゃんはこの世にはいないけど、ぼくの中でこの物語だけは、ずっと残り続けている。
聞かされるのは、いつもきまって叱られる時だ。食事どきに「いただきます」や「ごちそうさま」を言わない時や、おばあちゃんに作ってもらったシロツメクサ(これってクローバーって名前の草と、同じ草なんだっけ)の冠に虫が付いてたからって捨ててしまった時や、おもちゃを粗末に扱ったりしたときに、きまってこの話を聞かされていた。でも、
「お天道様の下を、大手振って歩けるように生きなさい」
そう言って、おばあちゃんは、ぼくのわるいところを、水に流してくれたんだっけ…。

目覚めると、朝の六時四十二分。
そして今、ぼくにとって第四のせかい。このせかいのぼくの生活といったら、都内で一人暮らしのサラリーマン生活。満員電車に揺られ、ルーティンワークをこなし、家に帰って寝る。その繰り返し。
カーテンを開けると、太陽の光が鋭く差し込む。これだ。この1DKの部屋を決めるときに重要視したのは、日当たりだった。
ぼくは、太陽が好きだ。そういえば、おばあちゃんの物語のどのせかいにも、太陽が登場していた。どの世界も、太陽がなければ成立しなかった。神様って、太陽のことなのかもしれないな、と鼻歌を歌いながら、洗濯物を干していた時に思った。
ひとりで摂る朝食。焼鮭に、納豆ごはんに、大根のお味噌汁。
今日も一日、わるいことが起きないように。
つうか、いいことがおこりますように。
鮭、納豆、ごはん、大根、味噌は…大豆か。今日もぼくは、それぞれのいのちをいただく。
「それ」を忘れないように、ぼくは一人、朝食の前で手を合わせ、いただきます、と言った。誰も聞いていないのに。

 

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