会社を辞めてしまうなんて、微塵も知らなかった。それもそのはず、おじさんの社員のひとりがいなくなる情報など、かつての姫乃には聞くに足らないことだったのだ。自分に見合う男を探すことしか、考えていなかったからだ。姫乃は今すぐ鈴木に会いたかった。しかし連絡先を知らないため、他にどうすれば良いのかを考えた。
―――大事な用事。姫乃は直感で、鈴木は今、あの場所にいるのではないかと思った。違うかもしれないが、何もしないよりはずっと良い。居ても経ってもいられず、姫乃は具合がわるいと課長に相談し、会社を早退させてもらった。そしてタクシーに乗り、あの場所へと向かったのであった。
「鈴木さん」
やはり、思った通りだった。
四月の親睦会でたけのこ狩りをした竹やぶの中で、鈴木はあの時と同じように、地面に顔を近づけて何かを探していたのだ。この寒さの中、腕まくりをしている。そしてスーツのズボンの裾は土で汚れてしまっていた。姫乃を見ると、鈴木は小さな目を見開いて、驚いたようすだった。
「お願いです。危ないですから、日が暮れる前に一緒に帰りましょう」
そう言っても、鈴木は曖昧な返事をするだけで、必死に探し続けていた。そして一時間が経ったころだろうか。ついに竹にもたれかかって、しゃがみこんでしまった姫乃の正面に鈴木も座り、目線の高さを合わせてこう言った。
「姫乃さん、見て下さい。たけのこよりも、素敵なものが掘れましたよ。やっと、やっと見つけることができました」
土だらけの手の中には、なくしてしまったはずの、祖母から貰ったネックレスが有った。姫乃はそれを見ると、顔に手を当ててさめざめと泣き出してしまった。
「おやおや、泣かないで下さい。私は、姫乃さんの喜ぶ顔が好きなのですから」
鈴木は姫乃の肩に手を置こうとしたが、土だらけなのでためらった。
「……私を、娘さんと重ねていたんですか?」
鼻をすすりながら、姫乃はそう聞いた。すると鈴木は、「分かってしまいましたか」と、少し照れたように笑った。