そして男は走ってデスクに着き、パソコンを起動させていた。やるべき仕事よりも先に、インターネットでチケットの情報を探すのであろう。姫乃は天井を仰いだ。
チケットがとれたら姫乃がデートを受けるという話は、瞬く間に広まった。男達は一生けん命どうにかならないかと試行錯誤を続け、また、女達はそんな男達を冷たい目で見ていたのであった。
もし、手に入れられたら大したものだ。その時はデートをしてもいい。だけど、どうせ誰も出来っこないに決まっている。姫乃は必死になっている男達に、ただ呆れていた。
――数日後。
信じられないことが起こった。何と姫乃の要求通り、チケットを入手してきた男が現れたのだ。姫乃はひどく驚いた。チケットがどうこうではない。いちばん驚いたのは、その男が五十すぎで独身の、鈴木という小太りの社員だったことだ。
「これで、いいんですね」
昼休み、姫乃は屋上に呼び出され、こっそりと鈴木からチケットを渡された。姫乃は、心底困ってしまった。まさか本当に持ってくるとは思わなかったし、鈴木と一緒にライヴなど、行きたくなかったからだ。二月の冷たい風が、痛いくらい身に染みる。
「チケットは二枚あります。ですから……」
ぎくりとした。誘われる、そう思った。しかし、鈴木は思いがけないことを言った。
「友達でも家族でも、好きな人を誘って行ってきて下さい」
「へ?」
姫乃は拍子抜けして、フェンスに背をつけてしまった。がしゃん、と、小さな音が耳をかすめる。何、どういうこと。何なのこの人。目をぱちぱちとさせて、姫乃は改めて鈴木を見た。太陽に照らされて、鈴木のひたいはぴかぴかと光っている。ふつうのおじさん。その言葉が思わず浮かんだ。