朝食後、紗代子は近所に住む恵子の家に行った。夫を早くに亡くし、女手ひとつで育てあげた可愛い娘は二人共他県に嫁いでいき、今は恵子一人で暮らしている。今日のお昼ご飯は恵子と食べるというので、健一はその間何をしようか考えた。
こんなにも天気がいいのだから、家の中にいるのはもったいない。庭の掃除でもしようと軍手を持って外に出る。
暖かい風が心地よく肌を撫でる。夏が近いことを知らせるかのように青々とした葉が揺れていた。健一は家の裏手に周り、桜の木を見上げた。肥料を与え、害虫がつかないように注意はしていたが、周りの木とは対照的に葉をつけない枝を見て小さく溜息をついた。ふと視線を感じて顔を上げると、道路の反対側からランドセルを背負った男の子がじっと健一を見ていた。
「おはよう。」
健一が声をかけると男の子はペコっと頭を下げこちらに近づいてきた。
「おじちゃん、これだけ葉っぱついてないね。」
人懐こい目で不思議そうに訪ねた。
「ああ。桜の木なんだけどね。もう寿命みたいだ。それはそうと、もう八時を過ぎているけれど学校は大丈夫なのかい?」
健一の家から小学校まで十分ほどだが、焦った様子がまったくない。
「どうせもう遅刻決定だから、急いでも仕方ないし。桜の木ってさ、春になると皆でお花見するんでしょ?僕一度もお花見やったことが無いんだぁ。」
「学校にも桜の木あるだろう?」
「桜はあるけどお花見をしたことがないの。皆でわいわい美味しいご飯食べて飲んで騒げるんでしょ?」
「ははは。確かに。でも君の言うお花見は、桜を愛でるというよりお酒を呑んで皆と話せる場所のようなものだよ。」
「めでる?」
「桜が綺麗だなと思う気持ちのことだよ。友達と学校にある桜の木の下で、綺麗だねとか話すことがあれば、それも立派な『お花見』だよ。さあさあ、そろそろ本当に学校に行かなくちゃ。先生に怒られるよ。」
「はぁい。行ってきます。」
男の子は急ぐ様子もなく、時折振り向きながら学校へ向かった。
(三、四年生くらいだろうか。)
高さ百五十センチほどのブロック塀には届かない背丈の男の子が、ちゃんと学校に行ったのか気になりつつも、健一は庭の草むしりに取り掛かった。