小説

『流星のサドル』宮澤えふ(『蒲団』田山花袋)

それに二階がサドルで一杯になっているのだから、下の部屋にも置けばよいのだ。まだまだ集められる。私は晴れ晴れとした気分で、茶の間で大の字に寝転がった。
「ごめんください」
 突然、ガラガラと玄関の引き戸が開いて、男の声がした。立ち上がって出ていくと、制服を着た警官が二人立っている。
「何事ですか」
 と尋ねると、警官は部屋の中を覗き込みながら言った。
「このところご婦人の自転車のサドルだけ盗まれるという事件が多発してるんですわ。そのことで、ちょっとお話を伺いたい」
 私は狼狽した。あのサドルは全部私のものだ。こんなやつらに渡してなるものか。
「知りませんな。私には何の関係もない」
「目撃情報がありましてね。だらだら坂の上の作家先生が女学校の裏でサドルをはずしているのを見たと」
「知らん。私じゃない」
「調べさせてもらいますよ」
「令状はあるのかっ」
「あります」
 警官は紙を広げて私の前に突き出すと、靴を脱いで上がってきた。二人で手分けして、部屋を片っ端から開けて調べている。
「ないな」
「二階か」
 私は階段の下に立ちふさがった。
 二人は黙って私を押しのけると、二階の書斎に駆け上がった。私も慌ててついて上がった。
 部屋中のサドルを目にして二人の警官はあっけにとられている。足元のサドルを手に取るのを見て、私は叫んだ。
「触るな。私のサドルだ」
「違いますよ。盗品です」
「私はサドルを集めてるんだ。骨董や切手を集めるのはよくて、何でサドルはだめなんだ」
「盗んで集めてるからです。窃盗罪で逮捕します。」
 両脇を警官に挟まれて、がっくりと項垂れながらだらだら坂を下っていると、ふいに
「先生」
 と女の声がした。顔を上げると坂を上ってきた若い女が驚いた表情で私を見ている。
「先生、どうなさったんですか」
「知り合いか?」
 警官が女に尋ねた。
「はい。先生の内弟子をしておりました。しばらく郷里に帰っていたのですが昨年上京いたしまして、久しぶりに先生にご挨拶に伺うところでした」
 私は女の顔をまじまじと見た。
 誰だっけ。
 
 

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