小説

『鶴田一家』宮原周平(『鶴の恩返し』)

「うん、それでも大丈夫。本当にごめんね、本当。じゃ口座番号教えるね」
「あ、あと…出来れば今みたいにたまには連絡してこいよ。レイナの声聞くと元気が出るんだ」
 俺は何を言ってるんだ。
「…わかったよ、お父さん」レイナ役の女は戸惑いながら言った。
 暇つぶしはこれでおしまい。振り込むバカなどいるのだろうか、俺以外に。
と、ATMの外でぼーっとタバコを吹かしながら考える。
 この気持ちは一般のご家庭をお持ちの方々にはわからないだろう…決して裕福ではなくても愛する子供がいて、仕事から帰ると部屋に灯がともっており、たまの休日には一緒に食事をし、夜は家族一緒に川の字になって寝る。そのありふれた日常がどれだけ輝いて、私にとってどれだけ手に入れ難い幸福であるかを。
 もう私にはそれを手にいれる事もできない…諦めることには慣れている。私の心は凪の水面のように平然としている。しかし、見ず知らずの女ではあるが『お父さん』と言われた事でその水面に小さな波紋が漂う。
 ただ振り込んだからといって約束通り連絡が来るわけではないが、月々お金をもらうために私に連絡してくるかもしれない…そんな淡い期待を抱いていた。 
 これは、一般の人には理解しがたい独身貴族の優雅な遊びだ。

 
 家に帰る途中でスーパーに寄り、しいたけとししとうと柳葉魚とパックの焼鳥と聞いたことのない銘柄の1本82円の発泡酒を買った。以前、七輪をその時の気分…いや精神状態で一遍に5個買ってしまった事があったので少しは使わないと勿体ないと思い押入れから一つ取り出した。そして、駅に面した窓を開きスーパーで買って来たつまみを焼きながら酒を飲んだ。駅を出た付近で、小さな娘と奥さんらしき女性が笑顔で旦那さんを迎え、家路につく姿を眺めながら。

 
 しばらくして、レイナ役の女から連絡が来た。
「もしもし、おとうさん。お金ありがとう」
「お、おう。元気してるか、ミキ」あまりに咄嗟のことで名前を間違えてしまった。
「え、ミキ?」
「あ、ごめんレイナ」
「娘の名前間違える?フツー」
 電話から聴こえてくる笑い声に嬉しくなる。そして偽家族のたわいない会話が始まる。できるだけ核心に触れないよう、この関係が壊れないように。
 

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