小説

『雪まろげ』貴島智子(雨月物語『菊花の約』)

 旅籠へ戻る最中、馨は寝床で起きた不思議な出来事を話した。銕之丞は一瞬神妙な顔をしてみせたが、途端にカラカラと笑い声を上げ、
「お主、身どもが恋しいあまり夢でも見たのだろう」
 馨は気恥ずかしさと安堵の思いを誤魔化すかのように、銕之丞に雪玉をぶつけた。
「なにをする!」
 言い終わる間もなく、今度は銕之丞が馨めがけて雪玉を投げた。
「やったな!」
 薄紫に匂う空に抱かれながら、二人はまたしても仔犬のように雪の中を駆け回った。そして、どちらからともなくどさっと雪に体を預け、大きな大の字を二つ描いた。

「でもな、一番案じておるのはおぬしの事なのだからな」

 銕之丞は誰に向けるでもなく、空に向かってポツリと呟いた。
 馨は手中の雪玉に込めた力を抜いて、指の間からさらりと溢した。

「あの後、二人とも熱を出して旅籠の女将にこっぴどく叱られたんだったな」
馨はそう独り言を言いながら、くすっと笑った。雪は僅かに勢いを増し、庭の灯篭が綿帽子をかぶり始めた。
「珍しく、積もるかな・・・」
 今宵は、雪見酒と洒落込もう。加賀の思い出話を肴に。
 あれは馨の夢だったのだと、銕之丞はいつものように笑うだろう。


 羽織に袖を通し、銕之丞の元へと足を早める馨であった。

 

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