「今の時代、六五歳を過ぎても働いている人も多いでしょう?」
小山は何とか食い下がろうとした。宇佐美達より高齢の取締役もいるし、七十近い社長や会長はどうなるのかと。小山は二人に引退などしてほしくなかった。ようやく自分も取締役になり、二人の下で働けると思った矢先に、それはあまりにむごい話だった。
「後陣に道を譲るのも我々の務めだからね。」
亀山専務は少し困ったような顔をして、ビールを半分ほど飲み干した。
「…昔話をしてもいいかな。」
亀山専務のコップにビールを継ぎ、顔を上げると、亀山専務と目があった。亀山専務はとても静かで優しい目をしていた。
「ご存じの通り、僕と宇佐美は小学校の頃から一緒でね。あまり人口の多くない町だから、小中の九年間ずっと同じクラスだった。彼とはソリが合わなくてね、喧嘩してばかりだったよ。」
お前が根暗でうっとうしいからだよ。と宇佐美専務が茶々を入れると粗忽で軽薄な君に言われたくないね。と亀山専務がやり返す。小学生のような掛け合いが微笑ましかった。
「まあ確かに僕は運動が苦手で、目立たない子だったからね。でも根気はあったし、負けん気の強さでは彼に劣らなかった。」
そして小学校六年生のマラソン大会、ついに二人は雌雄を決することになった。きっかけは、宇佐美専務が給食の余りを一人で平らげたとか、そんな瑣末なことだったらしい。
「あー、小山君は覚えているかな、小学校のマラソン大会。」
「ひたすらしんどかった記憶があります。」
「そうそう。一年は一キロだけど、学年が上がるにつれ走行距離が増え、六年生は山道を十キロも走らなければならない、途中棄権者続出のあの過酷な大会だ。」
おちゃらけた宇佐美専務の説明に、小山は少し顔をひきつらせた。小山はあまり運動が得意ではない。そこまで過酷なものだという話はその時初めて知った。転校してよかったと思わず胸をなでおろしてしまった。
「短距離走は圧倒的に宇佐美が早かったけれど、長距離なら僕にも勝機はあった。一度宇佐美をとっちめてやろう!と思って、練習を積んで当日に望んだよ。」
亀山専務は懐かしそうに目を細めていた。
「まあ、スタートダッシュは俺がダントツの一位だけどな。折り返し地点までは完全独走。俺は勝利を確信したね、その時までは。」
そう言って二人は顔を見合わせ、また笑い合った。
「折り返し地点の近くに小さな丘があってね。亀山の悔しそうな顔でも拝んでやろうと登ったのが悪かった。」
「途中で足を滑らせて田んぼに落ちたまま気を失ってね。いつまでたっても宇佐美が帰ってこない。学校中大パニックさ。」
教員と保護者、高学年の生徒総出で捜索を行ったところ、亀山専務が田んぼの中で伸びている宇佐美専務を見つけたという。
「あのときは本当にびっくりしたよー。」
うるせー。といいながら宇佐美専務は亀山専務をこづいた。それでも愉快そうに笑いながら亀山専務は続けた。