小説

『の、あとで』平井玉(『桃太郎』)

 数日後、まだ日が明けきらぬうち、犬は城を抜け出した。堀を泳いで渡り、まだひんやりとした空気の中で体をプルプルと震わせると、そこに桃太郎と犬、雉がいた。
「なんだ。門を開けてくれりゃあよかったじゃないか」
犬は照れ隠しに文句を言った。
「忘れ物があったからの」
桃太郎は犬の首に、風呂敷を巻き付けた。
「婆様の黍団子じゃ。まだまだうまいこと作れるようじゃ」
犬はただ舌を出してはっはと息をした。
「いつでも帰ってこいよ」
桃太郎は疲れているように見えた。鼻息一つ大きく立てて、犬は軽く走り始めた。ふいに「ケーン」
と雉が近くで鳴いて、見れば傍らを走っている。ざざっと音立てて、猿が犬の背に乗る。
「なんだ。おまえら」
「・・・わしも行く」
犬は立ち止まり、振り返った。桃太郎は一人ぽつねんと立っていた。
「いいなあ、お前ら」
桃太郎が大きな声で言う。
「お前も来いよ」
猿が言う。桃太郎は笑ったが、泣いているようにも見えた。大きく手を振った姿を見納めに、犬、猿、雉は城を後にした。
「お前らが来るとは思わなんだ」
しばらくして、犬が言った。
「俺も思わなんだ」
猿が答えた。前の日、人知れず若い猿と軽くやりあった。まだ勝てる、と思った。今年は、だ。来年は、どうだろうか。
「俺は、負けるわけにはいかんのよ」
あの群れで、負けて下位に落ちることはできない。
「やっかいだの」
雉は、ただ勢いでついてきているだけだろう。その雉が、街道脇にそれ、全速力で灌木の茂みに突っ込んでいった。
「わああああ」
赤い褌を丸見えにした童が、雉に追い立てられて走り込んできた。猿は慌ててからげた裾を引っ張り下ろし、赤褌を隠してやった。
「赤い褌とは、洒落てるな、小僧」
犬が笑うと、童はむっとした顔をした。
「母ちゃんが、領主さまのようにがんばって、お前は天下を取って来いって言って作ってくれたんだぞ」
話を聞くと、どうやら口減らしで家族から体よく追い払われた子供のようだった。まあ、人買いに売り払われなかっただけましなのか。
――すぐに野垂れ死にしそうだがの
「おい小僧。黍団子があるぞ」
犬が言うと、童の顔が輝いた。猿は風呂敷を開いたが、ふと思いついて言った。
「お前、これを食ったら、わしらの家来だぞ」
童はちょっと戸惑ったようだが、すきっ腹には変えられないのか、うんうんとうなずきながら団子を貪り食った。
「猿みたい、猿みたい」
雉が騒ぎながら、ばたばたと走り回った。
「うん。確かにお前によう似ておる」
犬が笑った。
「馬鹿な。いくらわしでも、人の女子には手は出しておらん」
思う存分団子を食って、満足した童はすっくり立ち上がった。
「お前、どこに行くつもりだ」
あまりにもきっぱりした姿に猿は思わず聞いた。
「え、何かを征伐しに行くんじゃろ」
犬と猿は顔を見合わせた。
「やれやれ。またか」
今度は何を征伐するのやら。
「まあいいか。何かの途中ってのは、そんなに悪くないからの」
当たり前のように肩に乗った雉を揺らしながら歩く童の後を、猿と犬は先ほどよりずっと軽々とした足取りでついて行った。

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