小説

『ガラス製品なので大変割れ易くなっております』五十嵐涼(『シンデレラ』)

「くぁー、ざんねーーーん」
ビルを出た後、私は大きく一つ伸びをしながらあくびと共に言葉を吐き出した。外はすっかり日が暮れてしまい、街灯には明かりが灯っていた。
「ここにはもう用事がないから行こっか、ねぇ」
そう呟くと、どこからともなく美しい毛並みをした白い猫が一匹、私の足元にすり寄ってきた。その真っ白で長い毛足はまるで天使の羽の様だ。
「おいで。もう人通りもないから大丈夫だよ」
猫はニャオと泣き声を上げると、ひょいとそのまま私の肩までジャンプしてきた。
「あの人は魔女ではなかったの?」
そう声を出したのは私の肩に襟巻き状に乗っかっているこの白い猫だ。
「うん、違った。あの人はただの人間さ。なかなか面白い人だったけどね。そんな事よりあなたをこんな姿にしてガラスの靴を奪い取ったあの魔女は一体どこに行ったんだろうね、シンデレラ」
すると、猫、いやシンデレラは大きくため息を吐いた。
「お義母さまとお義姉さま達の怨念が生み出した魔女ですもの。なかなか簡単には見つからないわよね」
怨念が生み出した魔女という言葉にシンデレラの毛が思わず逆立つ。
「しかも王子が猫アレルギーと知ってあなたを猫にするくらいの根性が捻くれている奴だからね。自分からガラスの靴を持っています、なんて言う訳ないか」
「はぁ、早く王子様に会いたい…」
シンデレラのモーリシャスブルーに輝く瞳がより一層潤んだ。
「そんな落ち込まないで、シンデレラ。また手がかりを探してみるからさ」
「ありがとう。それにしても今回のあなたは迫真の演技だったわね」
「まぁね、若い頃の恋心を思い出したのかしら。すっかり楽しくなっちゃって、偽物と分かっていても自分で履いてみたくなっちゃったのよ。そしたらあんな割れ方をするんだもの!酷いったら」
「え!?あれって本気で怒っていたの?確かにあのバンドの事をかなり気に入っていたけど…あなたを本気で怒らせたら怖いわね」
「ふふ、私だって魔女ですから」
「ふふふ、そうね。じゃあ、そろそろ元の姿に戻ったら?いつまで女子高生でいるつもり?」
「ああ、忘れていた」
そう言ってビルの隙間に身を隠すと、私はまるでフラメンコのダンサーがそうする様に顔の横でパンパンと手を二回叩いてみせた。するとみるみる内にいつもの私の姿、体型こそそのままだが、白髪の天然パーマにまん丸な碧眼、鼻はよく育ったいちじくみたいに膨れ上がり、肌は青春の象徴であるニキビはすっかり消え、血色の良い老婆の姿へと戻っていった。服装もミニスカートの制服姿からちゃんといつもの紺色のローブになっている。
「さ、シンデレラ、他の世界に行ってみますか」
「まだまだ旅は続きそうね。私、日本って気に入っていたんだけどな。お寿司って凄く美味しいし、ああ、それから原宿のポップコーンも!」
2人で目を合わせフフフと笑うとそのまま私達の姿はビルの隙間からすぅっと消えていった。

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